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富子幻舞
【歴史物 官能小説】

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富子幻舞-7

富子にとってはある意味、
“見慣れた人物”。






その彼の名は、
“細川 勝元”―――――





幕政を事実上統括する執権役・“管領”にして、土佐・讃岐・丹波・摂津・伊予守護――――

足利氏の支流で三管領の1つである細川氏嫡流・京兆家の当主―――――


1430年生まれ。

1442年8月、父が死去したため、13歳で家督を継承した。この時に7代将軍足利義勝から偏諱を受けて勝元と名乗り、叔父の細川持賢に後見されて摂津・丹波・讃岐・土佐の守護となった。

1445年、畠山持国に代わって16歳で管領に就任、以後3度に渡って通算23年間も管領職を歴任し、幕政に影響力を及ぼし続けた。




彼本人は若くして武将・政治家として力量を評価されているが、

一面としては禅宗を信仰し、龍安寺や竜興寺を建立し、鯉料理などにも精通していた。

自ら医術を研究して医書である「霊蘭集」を著しただけではなく、和歌・絵画にも優れた才能を持つ文化人でもある。








――――ちなみに現在将軍後継問題で対立している山名宗全とは当初から不仲だったわけではなく、

細川家は一族全てで9ヶ国の守護であったのに対し、山名氏は赤松氏を嘉吉の乱で滅ぼした功績から旧赤松領を併せて8ヶ国の守護になっていたため、双方共に争うことは得策ではないと考え、

以前は勝元は宗全の養女を正室に迎えることで協調することにしていた。

当時の政敵・畠山持国に対抗する意味からも宗全と手を組む必要があった。




しかし時がたつに連れて、山名氏の勢力が勝元の想像以上に急速に拡大したため、勝元は宗全の勢力拡大を危険視するようになり、

畠山・斯波氏の家督争い・山名氏がかつて亡ぼした赤松氏の再興問題、そして勘合貿易の問題で悉く対立する。


そして1466年、実子政元の誕生後、山名家から迎えていた養子・豊久を廃嫡して仏門に入れるなど決裂は決定的となり、

現在に至るのである―――――




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