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「カオル」
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カオルE-5

 翌月曜日

 下校時間を迎え、生徒逹が学校から帰って行く。真由美も帰り支度を急いでいたが、彼女にはまだ行く予定があった。
 平日、夜七時までは塾。これは、受験を見越して去年から始めた。因みに週末二日間は休みなのだが、彼女は遊びも自重して自習もこなしている。幾ら若いとはいえ、連日の長時間学習は疲弊を招く上、心因性のストレスをも伴ってしまう。
 だが、真由美は辛いとは思わない。今はそういう時期で、全ては自分の為だと解っていた。
 鞄に学習用具を仕舞い込んでいると、先に支度を終えたひとみが近付いてきた。

「先に行くわよ」
「まだ余裕だって!」

 時計は、三時四十五分を指していた。二人は、学校を出て塾への道程を歩いて行く。到着までの間、他愛のないお喋りを交わす事は、抑圧した日常を和らげるのに必然的な行為だった。

「──そういえばさ」

 ひとみが訊いた。
 何時もの、何気ない口調だった。

「昨日、〇〇の横断歩道に居たよね?」

 途端に真由美の心臓は強く高鳴り、顔が岩のように固まった。日曜の昼間、あの辺りに知り合いの家はない。そう思って出かけたのに、それを、選りに選ってひとみに見られていたとは。

「……だ、大丈夫?わたし、不味いこと訊いた」
「いや……大丈夫だから」

 蒼醒めた顔。応答はしているが、心はひとみを見ていない。

(薫を、薫を見られた……どうしよう)

 自分の軽率な行動が、弟の身を危険に晒してしまう。絶対に隠し徹さねばならない。

「──それでさ。隣に居た女の子、妹さん?」

 ひとみの一言を聞いて、真由美は活路を見出だした。

「あれは……親戚、そう!親戚の子」
「へえ、親戚の子」
「う、うん!昨日、遊びに来ててね。一緒にコンビニに行ったの」

 何とか上手くごまかせそうになり、余裕が生まれて口唇が滑らかになった。それはひとみも同様で、大した関係でないと解った事に、胸を撫でおろす思いになった。

「昨日の子、あのウィッグ着けてたでしょう?」
「うん、ごめん……被せてみたら、似合ってたから」
「うん。チラっと見ただけだけど、凄く綺麗な子だった。あんな子、初めて見たわ」

 熱い眼をして語るひとみに、真由美は可笑しさを覚えた。
 もし、彼女が“本当のこと”を知ってしまったら、今のような態度を取れるだろうか。そういう類いの本を愛読する彼女なら、案外、すんなり受け入れられるかも知れない。

「あの子さ、何て名前なの?」
「えっ?」
「いや、あの子の名前よ?」

 突然の振りに、真由美は意表を突かれた。偽名を言おうとするが、咄嗟のことで思い浮かばない。

「藤木……か、薫子よ」
「薫子。ぴったりの名前ね。なんだか、お嬢様って雰囲気」

 苦し紛れの名前に、ひとみは頷いた。でも、知りたがりは止まらない。薫子の自宅は素より、年齢や真由美との間柄までひつこく訊いていく。それもそのはずで、愛読するコミック誌から抜けでた程の美しい容貌をした少女。彼女が探りたくなるのは仕方のない事だった。
 逆に真由美は後悔した。ひとつの嘘を信じ込ませる為に、さらに別の嘘で塗り固めなければならない。親しい存在となって一年。ひとみに対して初めての、そして重大な嘘を吐いてしまった。



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