第5章 プロヴァンスへ-3
2プロヴァンスへ
「そうか……行くか……」
「はい……」
「翔子なら、多分そういう結論を出すだろうと思っていたよ。結果が良くても悪くても、納得しないと気が済まないだろうからね。これ……」
おじさまから、一枚のメモを手渡されました。
プリントアウトされた文字は、エクス=アン=プロヴァンスの所番地でした。
「これは……?」
「ミニョンさんの実家。彼女が通っていた学校へ行って調べておいた。ただ、彼女がここに帰っている保証はないが、先ず、確かな手がりははここくらいしかないからね」
「おじさま……」
私は、おじさまを羽交い締めにして肩に顔を埋め、その温かい思いやりに涙しました。
「おいおい。私の一張羅のスーツがシミになるじゃないか」
「おじさま。好き、好き……アア……おじさまが恋人だったらなあ……」
プロヴァンスへ行って死のう、と決心していたことが、図らずも父の手紙によって<ミニョンは生きている>と確信が持てた以上迷うことはありませんでした。
律子には、私の財産の全てを譲ること、絵美やサキ、会社のことは、律子の思うようにできるよう専権を持たせてサポートしてやって欲しい、とおじさまに後を託しました。もし仮に、尾羽打ちからした私が帰って来るようなことがあったら、律子の扶養家族にしてもらうわ、と言って、おじさまを苦笑させました。
「律子が可哀想……私って、なんて身勝手な女なんでしょう……」
「律子は大丈夫だろう。あの子は賢い子だ。詳しい事情は知らないまでも、翔子の深い悲しみが良く分かっているようだ。いつも翔子の悩みを癒してやれない自分を責めていたよ。翔子が幸せになることに繋がることなら、自分の悲しみより翔子のために喜ばなければ、と考える子だよ」
「翔子……父の手紙を読みながら思ったの。おじさまもそうなのよ。結局、男も女も関係なく、本当に愛する人は一人だけなんじゃないか、って。律子にとっての一人は翔子かも知れない。翔子も律子を心から愛しているわ。あの子を見ていると、切なくて可愛くて、胸が苦しくなるくらい好きよ。でもミニョンは……ミニョンは私の分身なのよ。だから分かるの。今、ミニョンも苦しんでいるってことが……だから、どんな苦労をしても探し出して逢わなければいけないの……」
「もういい、分かったよ。翔子のその思いは伝えておくよ。律子なら、きっと分かってくれるよ」
私は、律子の泣き顔に苛まれながらプロヴァンスへ発ちました。
ミニョンを失ってからもう何年が経ってしまったのかさえ思い出せない。フランスまで来て、今、性急にことを運べば運命の神の嫉妬を買いそうな気がして、ゆっくりとプロヴァンスの空気に近付こうと決め、電車で向かうことにしました。
パリ・リヨン駅からエクス=アン=プロヴァンスまでの間、私の胸は張り裂けんばかりで、美しいフランス郊外の田園風景が涙で霞みました。
「Excuse-moi mademoiselle beau(ごめんなさい、美しいマドモアゼル)……」
横の席の老婦人が白いハンケチを差し出しながら声をかけてきました。
「あら……ありがとうございます。私持っておりますので……」
「プロヴァンスまで行かれるのですか? 余計なことだけど、なにかご不幸でも?」
「いいえ、嬉しいんです。あまりの美しさに思わず涙が出てしまいました」
「ああ……あなたのフランス語には、プロヴァンスの香りがしますね。日本の方?」
「はい、日本から来ました」
「私もプロヴァンスへ帰るところなの。プロヴァンスのどちらへ?」
「ヴァランソル(Valensole)です」
「おお……高原の美しい小さな村です。そこにお知り合いでもいらっしゃるの?」
「はい……恋しい方が……」
私は、不覚にも自分の言葉に刺激されたように、また涙が溢れてくるのでした。老婦人は、それきり話しかけるのを止め、私の腕を優しく撫でていてくれました。
バスで市街に入ると、深い緑の並木、ミラボー通り、噴水、色とりどりの市場、サン・ソーヴール大聖堂……ミニョンが聞かせてくれた話から想像したプロヴァンスの街並。澄み切った空、夏の強い日差しまでが、もう、以前から知っている街のようでした。ミニョンの吸っていた空気を、今、私も吸っている。
ミニョンを身近に感じ始めておりました。
老婦人に教えられた通りにバスを乗り継いで、はやる心を抑えながらヴァランソルの地を踏みしめました。
ミニョンの実家はラベンダー畑のまん中にあるようでした。ミニョンの匂いが風に乗って私を包み、私の初潮の日が昨日のように思い出されるのでした。ミニョンと私が一体になった夏のバスルームの日差し……。
<ミニョン……翔子、あなたの街に帰ってきたわ。ただいま……>