第2章-1
創は、おおよそ夫の紘一郎が出社してから1時間後に起きる。沙良はそれに間に合うよう朝食を調える。紘一郎と創の生活は生活サイクルだけでなくその嗜好も余りに違っており、朝食も夕食も別の時間帯に全く違うメニューを用意するのが沙良の日課だ。
『創くーん、起きてー。遅刻するよー』沙良は創の部屋のドア越しから大声を上げる。創の寝起きは決して良くはない。元々夜に集中して勉強しているからなのだが、血圧が高くないことも原因しているのだろう。しばらくしても反応が無いのに業を煮やすと、沙良はドア越しから創の携帯に電話する。十数回コールの後『…ん…はい…。あ…さーちゃん、おはよ…』全く覚醒してない声である。沙良は苦笑して『早くしないと遅刻するよ』と言うと、創はかすれた声で『うん…わかった…あと5分で降りる』と小さく答える。
油断してるとそのまま二度寝しかねない寝ぼけ声だ。『5分しても来なかったらドア蹴破るからねー』沙良は冗談ごかしてそう言うと、電話を切ってため息を吐きながら階段を下りて行った。
ぱたぱたと創が階下に下りてきた。黒いジャージの上下、痩せた長身の創が目をこすりながら盛大な寝癖をつけてダイニングに顔を現した。それを見て沙良は思わず噴き出してしまう。
創は沙良の兄、創一の息子で、沙良が21歳、創が7歳の時に兄夫婦は事故死した。ちょうど紘一郎との挙式を来秋に控えた春の出来事だった。老いた両親だけに頑是無い創を任せることなど出来ず、沙良は紘一郎に頼み込んでここでの生活を呑んでもらった。
兄夫婦が亡くなってからの創はすっかり沙羅べったりになり、沙羅と一緒でなければ寝ることすら出来なくなっていたのだ。トラウマによる一種の退行現象だったのだろう。
だが時が過ぎるにつれ、創は次第に元気を取り戻し学校ではガキ大将で通るようにさえなった。高校に上がる頃には沙良の身長を軽々超え、子供の頃は女の子のような顔立ちだったのがすっかり男の顔になり、通りすがる老若の女性が振り返るような美形になっていた。
優美でありながら毅然とした意志の強さを感じさせる目、高い鼻梁、上下ともふっくらとした整った紅い唇―。高貴な王子、という形容がぴったりの容姿の持ち主に成長していた。
そんな創の成長振りを思うと、沙良は感慨に耽らずにいられない。
大皿に盛り付けられたオムレツの中にはカラフルなミックスベジタブルが散りばめられている。沙良はオムレツを2:1に切り分けて大きい方を創の皿に乗せると、『創くんの好きなじゃがいもといんげんも入れたから。コーヒーお代わり?』とにこやかな顔を向ける。
『うん。』創は、最後の一口を飲み干すと空になったマグカップを沙良に渡す。取り分けられたオムレツの断面は半熟の中身とチーズが渾然一体となって溶け出している。
『今日は何時に終わるの?』『うーん。今日は解剖があるから8時過ぎかな…』
『そう。夕飯は?どうする?』『適当に食べるよ。さーちゃんは先に食べてて』
『了解。』その日の予定を簡単に話し合うと創は大学に向かった。