夏の終わりの話-1
夏も終わりになると、疲れて教室へやってくる者もあった。
秋が近付くと農家は当然忙しい、研修生だけが労働しているわけではなかった、日本人も当然のように一緒に働く、だから不公平などという話は出てこなかった。若い研修生がつぶやく、「中国人が日本人のように働けば、中国はもっと良くなる」、確かに言えてる・・・(労働に見合った対価・生活が実現できるのであれば人間は働くし公平だとは感じる、労働に見合わない、収入が一部の者に偏る格差・不公平が問題なのである)
研修生が働かないとは言わないが、日本人はもっと働く、研修生によっては、期待通りの働きをしない者もいる。この事もトラブルとなるのは想像がつく。
米を作る農家は、機械化がされていて普通研修生は必要としない、畑作の農家が、研修生を主に使う。
イモ・カボチャ、この街の農家は、規模も大きく、機械化が進んでいる、一人でも、中国へ帰って機械化された北海道の農家を手本として農業を経営してほしい・・
と言えない現実も北海道の農業にはある。
上海の友人周も、わが街を訪れた時、車から見える北海道の田畑を見て感動していた、日本の農業を手本にして、中国の農業が発展することを、夢見ている。
はたしてそうかと疑問が残る、北海道の農家は輸入の農作物に市場を荒らされ価格の下落に悩んでいる。
アメリカの農家のように、けん銃を世界に突きつけて農産品を世界中に売りまくる、それが出来ないから日本も中国も、農民にとっては、いい時代とは決してならないであろう。
また中国がけん銃を世界に突きつけて農産品を売りまくる、それも困ったことになる。
いま中国は、世界中から食い物にされながら、発展を続ける、とりわけ、中国の農民がいちばん犠牲となって世界から搾取し続けられている。
上海などの港には、外国資本の高層ビルが立ち並ぶ
そのすべてが中国の安い労働力に支えられた中国産品を自国へ輸入する商社と関連会社である、その安い労働力を支えているのも中国の農民たちである。
世界中から食い物にされながら、都市と農村の格差を解消できずに発展する中国、中国の農民が苦労を強いられる時代は、日本人の無神経さも手伝って、まだまだ続く。