非線型蒲公英-45
ひよちゃんの荷物持ちとして、尋ねるのは都合二回目となるひよちゃんの部屋にやって来た。
「…まあ、上がってください。お茶くらいなら出しますから」
「ありがとう…悪いね」
「…いえ、報酬と言ってもお金を貸してあげただけですし」
「まあ、返すかどうかは…」
「…ちゃんと返して下さい」
「は、はい」
俺は靴を脱いで部屋に上がる。
「お邪魔します…っと、これは、どこに置けばいい?」
「…その辺に置いといてください」
買い物袋をどさりと置いて、俺は適当な所に腰を下ろした。
「ふう、帰りたくないな…」
「…そうですか」
「泊めてくれると助かるんだけどな…」
「…面倒見切れません」
「うう、姉さんと一緒にいると、俺は不幸になるんだよ…」
俺は、哭いた。
「…それは、分かる気がしますけど」
「あ…そういえば、昨日は何があったの?」
ここに来て、誰にも聞けなかった事を、聞いてみる事にした。
「…昨日…です、か」
ヤバイ、ひよちゃんの纏うオーラが…殺意の色を滲ませている…。
「ご、ごめんなさい…何も言ってません…」
そう誤魔化した後も、わずかに空気がチリチリとしていた。
「…先輩は知らなくていいんです。聞いたりもしないで下さい…誰にも」
黒瞳に光が無い。俺は、脊髄に氷水を入れられたかの様にゾクリとした(もちろん、恐怖で)。
「…それはともかく、何故、公園なんかに」
「ああ、悠樹がうちに来てるんだよ…」
「…悠樹先輩、ですか」
「姉さんと悠樹が一緒に居る所に俺が居たら、どうなるか…もう、経験から言って回避したい事柄ベスト1」
「…そうなんですか…」
「だから、せめて悠樹が居なくなるまで匿ってほしい…」
「…いいですけど…ここに居て、どうやって悠樹先輩が帰ったかどうか判断する気ですか」
ソレに関しては心当たりがあった。
「あの二人が一緒に居ると、まず確実に酒が入るんだ」
「…一応、二十歳未満の学生なのに」
「まあ、それはこの際置いといて、あの二人が酒を飲むと、大抵の場合、飲み始めてから二時間半から三時間の間に眠ってしまうんだよ」
これは、俺が苦しい経験を伴って得た、貴重なデータだ。
「…はあ」
「そのタイミングで帰れば、まあ、朝まで問題なく眠れるんだ」
「…で、今から三時間、ここで過ごすって事ですか」
「まあ、そうだけど…駄目かな?」
「…帰るの十時になりますよ」
「いいよ、そういうのに慣れてるから…そう、慣れてるんだよ…俺は…!!」
何かが入ってしまった。
「…落ち着いてください」
「ごめん、最近オカシイんだ、俺…」
「…解ってます」
「ち、ちょっとは否定して欲しい…」
「…はあ、まあ、ともかく、三時間する事が無いなら、ちょっと手伝って欲しい事が」
もちろん、断る事など出来るはずも無く…。
「ひよちゃん…これは、手伝うとは言わないと思うんだよ…やらせてるって言うんじゃないか?」
エコーがかった声で居間に居るひよちゃんに問いかける。
「…まあ、そうですね」
コーヒーを飲みながら、妃依が言う。
「だろ? いくら俺が使いやすいからって、仮にも先輩にトイレの掃除をさせるのはどうか」
だが、口に反して俺は掃除を続行していた。駄目だ…人に使われていると俺の意思が…。
「…別に、そこまでやれ、と言った覚えはないんですが」
確かに、風呂掃除を頼まれはしたが、トイレ掃除をやれとは言われてない。
「そうだったね、でも、何故か体が勝手に…」
楽しいのだ。雑用が。体が雑務を求めているのか―――。
「…それが終わったら、もう、休んでいいですよ…」
罪悪感を滲ませたような声で言う。
それは甘いぜ…ひよちゃん…。
「風呂、トイレと来たら、次は洗面所と排水溝と…やる事はまだあるんだ!! 休めないよ!! …って、何言ってんだ俺…」
全てが身体に染み付いている。今までの暮らしが俺にそうさせているのだろうか。嫌だ…こんなの…。
「…同情、していいですか」
「やめてくれ…」
これが、もう戻れない所に居るって事か…。ふふ…。
その後、俺は1時間余りずっと、掃除に夢中になっていた。
流石に、洗濯はさせてもらえなかったが…。