凪いだ海に落とした魔法は 3話-54
「だってさあ」と白川慧は言った。
「このままお金を返してもらって終わるより、秘密をバラして停学になるより、そっちのほうが面白そうじゃない?」
唇に付いたケチャップを桃色の舌がぺろりと舐め取った。
「面白そう?」沢崎が繰り返す。「ええ。あなたたち、とっても面白そう」
僕と沢崎は顔を見合わせ、また白川慧に視線を戻す。彼女はニコリという音が聞こえそうな笑みを浮かべた。
「悪名高き沢崎拓也と日下部沙耶だぞ。君はこいつらとつるむことが面白そうだと思うのか」と僕は言った。
「志野、その言い方は、なんつうかなあ――」
「そりゃあ思うよ。興味あるよ」
だってさあ、と言って彼女は瞳を輝かせた。お伽噺に胸をときめかせる幼女のような瞳だった。
「“あっち側”の沢崎くんと日下部さんだよ。普段どんな話をしているのかとか、何が好きで何が嫌いかとか、どんな景色を見て生きてるのかとか、知りたいと思うじゃない?」
白川慧の言葉に「あっち側?」と怪訝そうに眉を寄せる沢崎。
僕には、彼女の言わんとすることが理解できる。
同じ学校の同じ空間にいながら、何処か浮き世離れした雰囲気のある二人。
誰も近寄ることの出来ない秘境に住まう仙人のように、近寄り難い存在。
もし“あっち側”の世界に行ってその景色を覗き見る機会あるのなら、そのチャンスに飛び込んでみたいという好奇心旺盛な奴がいても不思議ではないだろう。
「そもそも、信じるのか。日下部の話を」と沢崎が言った。
「“楽しい”っていう感情がないのよね?」
「本人に言わせればな」
「それがホントか嘘かはどうでもいいの。私からすればね。私は私が楽しみたいだけだし、それによって日下部さんも楽しめたらオールオッケーじゃない。彼女の“楽しさ”が分からないっていうのが、たとえ思春期にありがちな自己演出の一つだとしても、私のやることに変わりはないわ。あなたたち“あっち側グループ”の仲間になりたいの」
幾分、真面目な表情で彼女はそう言った。
「で、それを拒否したら」と僕は言った。
「みんな揃って停学? イェイ」
白川慧はおどけた口調で言ってピースサインをした。こいつの余裕の源泉はどこにあるのだろう。
「また選択肢はないのか、俺たちには」と沢崎が言った。
「二度あることは何とやらだ」
「志野、お前、女難の相でも出てるんじゃねえか」
「こっちの台詞だバカ」
もしかしたら、始めから白川慧はこうするつもりで僕に近付いてきたのかもしれない。日下部の話は彼女に取って格好の口実となったわけだ。ショッピングモールで僕たち三人を見掛けたときから、彼女の計画は始まったのではないか、と僕は推測する。
“あっち側”の入り口としての志野俊輔。
また中途半端な立ち位置にいるなと僕は思って、少しだけおかしくなった。
「それで、どうしてこんなことなったのかな」
日下部の唇が不機嫌な旋律を奏でた。
昼休みで、僕たち四人は学食でひとつのテーブルに座っていた。食堂は混雑していて、色々な食べ物の匂いが混ざっていて、内容の違う会話が飛び交っていた。つまり、静けさを好む人間にはあまり居心地のよくない空間だった。それが日下部の機嫌を損ねた原因その一。
「僕たちが学食にいること? それとも、ここに白川さんがいること?」
「両方よ」
煙草の吸い殻をポイ捨てするようなぞんざいさで日下部は呟いた。