凪いだ海に落とした魔法は 3話-46
「興味ない。ねえ、そろそろ三分経ったんじゃない?」と、そんなことを彼女は言う。
「君に聞いても無駄か。そうだね。食べようか」
僕たちはいそいそとカップ麺を食べ始めた。真夏に冷房の効いた場所で食べるカップ麺は、なかなか悪くないなと僕は思った。
「志野、そっち一口くれよ」
「いいよ、っておい、チャーシューは一緒に持ってくなよ」
「こんな薄っぺらい肉切れ一枚でやあやあ言うなよ。ていうか、いつも思うんだがこれって本当に肉なのか。肉の味しねえぞ」
「“肉らしきもの”があるってことが重要なんだよ。代わりにお前のソバの天ぷら寄越せ」
「待て待て。“肉らしきもの”と天ぷらじゃフェアじゃねえだろ」
「知るかよ」
「――覚えとけ。食い物の恨みは怖えからな」
僕らの不毛な抗争を他所に、隣でずるずるとラーメンをすする日下部。髪が汁に浸からないように片手で押さえながら箸を運ぶ仕種が何だか色めかしい。
「どうだ。日下部。まあ、楽しくはないだろうけど、新鮮ではあるだろ」と僕は天ぷらを食べながら言った。
「ええ。何だか、普通に食べるよりは、美味しい気がする」
相変わらず無愛想だが、声には柔らかさがあった。
「こういうのはな」と沢崎は言って笑った。
「普段食わない場所で食うのが一番旨いんだよ」
「徹夜中の夜食も捨てがたいけどな」と僕は言った。
「いや、夜食は冷凍ピザが定番だろ」
「お前のところと違ってな、普通は冷凍ピザなんていつもいつもあるもんじゃないんだよ」
「そうなのか? ウチは朝から冷凍ピザだけどな」
「よくもまあデブらないもんだ」
日下部は黙々とカップ麺を食べていた。こちらから話を振らない限りは、会話に加わろうとはしない。普通はこういう何気ない会話の中にも楽しみを見い出しながら生きていくものなのだが、彼女には、それができない。その記憶の蓄積が思い出となり、いつか大切なものになるのだろうけど、それができない人生というのは、ひどく味気ないものに思えた。“肉らしきもの”の入っていないカップラーメンや、天ぷらの入っていないカップソバよりは、味気ないことには違いないだろう。会話はただの情報伝達の手段であり、意味さえ通じていれば言葉に想いはいらない、そんな生き方。大人になれば思い出すこともなく、二度と掘り返されることのない記憶の墓場に沈んでしまう日常。
いやだな、と僕は思う。つまり、日下部沙耶には、そんな人生は歩んで欲しくないなと、僕はそう感じている。何故だろう。切実な思いで、僕は彼女の行く末を案じていた。所詮は他人事だというのに――。
駐車場近くの喫煙スペースで、沢崎からもらったマルボロを三人で吸っていた。茹だるような大気と一緒に吸い込む煙は、夏を焦がしたような味がした。
青ガラスのように澄みきった空は、光の粉をまぶしたように明るかった。塗装の剥げかけたベンチに座って、肌を舐めるような初夏の風を浴びながら煙草を吸っていると、僕たちはもう何度もこうしたことがあるような、そんな錯覚を覚えてしまう。もしかしたら、意外と相性のいい三人なのかもしれないな、と僕は感じると同時に、そう思っているのは僕だけなのだろうな、とも思って、自嘲的に笑う。
「舌がぴりぴりする」
煙草に初挑戦の日下部が、未知の感覚に戸惑っている。突如現れた謎の飛行物体でも見るかのような目で、煙の流れる行く末を見守っていた。
「最初だけさ」
沢崎はそう言って吸殻入れで煙草を消したあと、すぐ二本目に火を付ける。