ルラフェン編 その一 フローラ-5
「えと、僕の絵? 最近はあんまり描いてないんだけど……」
「別にいいわ。サンタローズであらかたもらってきたし」
腰に手をあて偉丈に振舞う彼女。幼い雰囲気の『アン』とは違い、とげとげしい嫌悪が感じられる。
「この修行でしょ? 私もお母様に何度かやらされたわ」
アンはリョカの前につかつかと歩み寄ると、指先に青白い光を集めだす。
「海獣よ、戯れるままに荒波を示せ……、コーラルレイン……」
指先が水面に触れると、途端に水柱が立ち、渦を成す。
「うわ!」
細かい水飛沫を上げるも、あくまでもバケツに留まる小規模な嵐。リョカは驚き、声も出ない。
「ふふん、どうかしら?」
「すごい……」
得意気に胸を張る彼女。魔力、そして使役のどちらもリョカの遥か上を行くであろうアンに、彼は素直に拍手をする。
「そんなん……」
すると、びゅうと冷気が横から吹き、その水柱を氷柱に変える。二人の視線の先には腰に手をあて胸を張るシドレーがいた。
「まったく負けず嫌いな奴ね……」
アンは氷柱に指先で触れ、今度は光と熱を集める。すると勢いよく氷柱は溶け始め、バケツへびちゃびちゃと音を立てる。
「で? 今度は何の用? またリョカさんをご指名ですか? リョカさんには大切な人がおるんじゃから、横恋慕は止してくださいね」
毎度いやみったらしく言うシドレーにアンはフンと鼻でならす。リョカは思い当たる節に真っ赤になるが、シドレーはどこ吹く風。
「なんで私がこんな浮気者なんか……。女と見ればだれでもかれでも泣きついてさ……。あーやだやだ……」
「かれでもってのはさすがに無いと思うけどな……。まぁ、坊主が女ったらしってのは否定せんぞ。うんうん」
「ちょっとシドレーそれって……」
心底嫌そうに腕を抱くアンと、その件に関しては同意とばかりに頷くシドレー。リョカは自分がそんなに女性にだらしないのかと、過去を振り返る。
指折り数えて脳裏で微笑む女性達は、彼の前から去っていった。ふがいないと頭ではわかっているが、彼なりの後ろめたさが密かにある。もし、剣を届けたら、あるいは、それを埋める旅に出ることも本気で考えていたから……。
「それより貴方の持っている剣、ほら、ルドマンさんに渡すはずのアレ。今すぐにフローラに渡しなさい」
「え? なんでアンさんが父さんの剣を知ってるの? フローラさんの知り合いなの?」
エマといいアンといい、例の不思議な剣を知る人がなぜか多い。
「なんでもいいでしょ? とにかく、貴方の仕事はここで終わり。さっさとその決まった相手でも追いかけていればいいわ。そうすれば皆幸せになれるの」
「皆幸せ……?」
リョカは「皆幸せ」という言葉を反芻する。
マリア、ヘンリー、エマ……そして自分。
皆が願う結末を迎えることもなく、波止場で挨拶もできずに別れた過去、自分だけがそれを追ってよいのか迷う。
そして、父の願い。父は彼に自分の人生を生きてほしいと願った。だが、今際の際に残した願いはその間逆。どちらも願いであり、どちらも父の言葉。
せめてできうる全てをしてからでも……。そんな妥協点で終らせようとする自分が、とても卑怯に思えていた。
「そうよ。貴方はこれ以上余計な旅をしないでいいの。貴方も、その大切な人も幸せになれる。貴方さえ来なければね」
「アンさん……。僕には君の言いたいことが見えない。一体なにを言いたいんだい? なにか大切なところを隠しながら言われても、僕だって頷くわけにはいかないよ」
「話せるならとっくに話してるわ。でもね、私は貴方だけは赦さない。私のお父さんを奪った貴方だけはね!」
「僕が、アンさんのお父さんを……?」
まったく見に覚えが無いことにリョカは言葉が告げない。彼女の見た目からするに、自分とそう年齢も離れていないだろう。もし彼女の父を奪うとして、幼少期のリョカにソレができるだろうか? 幼い旅路、そういった場面に出くわしたこともなく、ただただ困惑するリョカだが、アンはいたって真面目らしく、涙を浮かべながらリョカを睨む。