#03 研修旅行――二日目-14
「円覚寺?……まあ、あそこも、まあ、アリか。鐘楼弁天堂もあるし。ただ、俺が行きたいのは浄智寺だ。そして、その後、鎌倉まで戻り、鶴岡八幡宮へ。そして、寶戒寺、妙隆寺、本覚寺――ああ、その途中に蛭子神社にも寄ろうか。そして、長谷へと下り、長谷寺、御霊神社、……最後に江ノ島。完璧だね。鎌倉の真骨頂だ」
「……??」
林田が、心底、不思議そうな顔をしている。それは私も同じだったが。
正直、何を言っているのか、よくわからない。そりゃあ、神社だの寺だのの名前だってことはわかるし、長谷だの江ノ島だのだって地図上での場所も見当がつく。
けれど、それだけだ。理解不能だった。
すると、それまで黙々と食事を取っていた相原が、ようやく皿を空にし、これまでの話しも聞いていたのだろう、ボソリと口を開いた。
「……それって、もしかして、七福神巡り?」
「ほう、正解だ。よくわかったね」
「ち、父が、趣味で、その各地の七福神を参っていて……」
「ああ。そういえば、きみの父上は民俗学者だったね。いや、史学者だったか?洋南大学の教授だとか――」
「そう、民族学の。文献資料を紐解く過程で史学も学んでいますけど。……でも、よく覚えてるね?」
「一度聞いたことを人間は忘れないものだよ。思い出せないだけでね。ところで、そう、話しを戻そう。七福神巡りだ」
「なんだよ、そりゃあ?」
机の向こう側で、なかよく昔馴染みを気取るふたりの会話に、私はやっと口を挟めた。
七福神――。その札を祖母に、正月の晩、枕の下に入れさせられたのを思い出した。
そんな私の記憶なんぞは知るはずもなく、岐島は続ける。
「七福神。大黒天、弁才天、毘沙門天、布袋、福禄寿、寿老人、恵比寿の七神を信仰する大衆宗教だ。そもそも、江戸の初期に黒衣の宰相南光坊天海が布教したといわれるんだから、天台派の教えなんだろう。インド、中国の神が三柱、日本の神が一柱なんだが、それ以外にも吉祥天や猩々、猿田彦などを数える場合もある、なかなかあやふやなものだけど、現在、最初に言った七神が一番ポピュラーだ。そして、その七神を祀る――というか、その神体像がある寺社を巡る、というのが七福神巡りさ。鎌倉のはわりと有名だね。半日で回れるし、丁度いいと思う」
「………………」
林田も相原も、そして私も生温かい視線を送っていた。長口上を終えた同級生に、若干ならずも引いていた。
まあ、女子三人分の視線、その意味をコイツが把握しているとは思えないけど。
そんな洞察は当たっていたらしく、岐島がなんともないように言う。