-続・咲けよ草花、春爛漫--20
『………』
『………』
それは今年の二月。不本意ながらもいつものように鈴代相手に、空教室で“バイト”をしていた時のこと。満足して先に教室を去った鈴代を、俺は気だるさと後ろめたさを抱えながら乱れた着衣も直さずにその場でぼんやりしていた。
そこへ入ってきたのが、この八手陽司であった。
はっとして胸元を隠す俺を見下ろしながら、八手はポケットに手を突っ込んで煙草を取り出した。
おい、ここ教室だぞ。
しかしいかにも悪そうな男相手にこんな状況で指摘ができる筈もなく。俺はただただ煙草を燻らせて近付いてくるその男を睨みながら固まることしかできなかった。
『いい格好してんな』
屈み込んで俺と視線を合わせると、奴は俺の顎をぐっと掴んだ。
『止め……っ』
『今出て行った優男と乳繰り合ってたのか?』
『お前には、関係ないだろ!』
言って乱暴に男の手を払いのける。驚いたふうに男は俺の髪を掴んだ。
『痛ててて!』
『結構な口きいてんじゃねぇか。お綺麗な顔してるくせに』
そしてぐっと顔を近づけて男はとんでもないことを言う。
『俺好みだ』
青ざめた俺は何度も「俺は男だ」と言って迫る八手を避けたり押しやったりしたのだが。
しかし俺の男時代など知らないこの男は決して引かず――
『あぅ――っ!』
『……はっ』
迫る奴の唇から思い切り顔を逸らせば、貪るように俺の首筋に噛みついてきやがった。同時に校内に下校を促すチャイムが流れる。
頭を掴まれて身動きはできず、俺の首筋から耳朶は奴の舌に蹂躙される。せめてもの抵抗に奴の首に爪を立てて引っ掻いてやると、ようやく奴は俺の耳元から離れる。そしてにやりと笑って言ったのだった。
『エロい顔しやがって……次に会う時には犯してやるよ』
ふざけんな、馬鹿野郎!
文字面だけは威勢のいいそんな台詞はしかし声に出してみると弱々しく、喉の奥で笑いながら去る八手の背中にぶつけられたのだった。
後にこの傍若無人な男が八手陽司という名で学年が一つ上であることと、見た目そのままの不良であること、あの空教室は専ら八手のサボリ場と化していて、滅多に近寄る者はいないということを知った。
そんな場所だと知っていたら、俺だって近付かなかったのに。俺は大きく肩を下ろし、八つ当たりに鈴代の向う脛を蹴りつけた。
次に会う時には犯してやる、なんて物騒な台詞は思い出すだけでぞっとする。
その言葉自体にもだが、奴にはそれを実行するだけの力がある。物理的にも心理的にも。
(もし鈴代との関係が周りにバラされたら、マジで生きていけない)
そうなのだ。八手は俺と鈴代の関係を知っている。この秘密を守る代わりにヤラせろ、なんて言われたら俺は頷いてしまうかもしれない。
(周りへの影響を考えると、な……当然どっちも嫌だけど)
しかし、幸いなことにそんな約束を交わした直後、こいつは別件――他校生との喧嘩で、相手方に大怪我させたらしい――で停学となっていた。
だからそれを忘れて一ヶ月は平穏な日々が過ごせると思っていたのだが。
「引っかかれた傷は残念ながら治っちまったが……てめぇはどこに跡をつけられたいんだ? あ、芹沢?」
「か、勘弁してくれ。俺は見た目は女でも中身は男なんだ。ノーマルだから、男相手には……」
言いかける俺の唇を親指で抑えつけ、八手は顔を歪めた。
「あいつ――鈴代って言ったっけ? あいつはよくて、俺はダメだってのか」
俺の耳元に唇を寄せると、低い声で囁くように言った。
「奴相手には、随分といい声で鳴くんだな?」
「てめ――」
「タイミングがいいのか悪いのか、昨日ちょいと覗いてみたら、な」
何ていうタイミングだ、というか失態だ!
そして昨日のことを思い出して俺は顔を赤くした。