-咲けよ草花、春爛漫--4
あの後――つまり小日向が部室の扉を開けた後、部室のパイプ椅子に座していた副部長と顔を合わせた。肩口で切り揃えた黒髪に眼鏡をかけたその人は優しい笑みを浮かべながら、俺に冷たいジュースを手渡して、それ飲みながらサークルの説明を聞いて欲しいと言った。
俺は頷くままにジュースを飲みながら説明を聞いていたのだが、彼女は不意に一枚の紙を手渡してきた。
それは、入部届け。
『あの、俺まだ入るとは』
『ああ? あたしの差出したジュース飲んでおきながら、断るって?』
『………』
あっれ〜……おかしいな。今までの優しい微笑みはいずこへ。
『今更入らないとは言わせないわよ』
ヤクザでした。文藝研の副部長はヤクザでした……!
そうして俺は半ば強制的に入部させられたのだ。
『ううっ』
『芹沢君……』
藤村副部長の怖さから半泣きで入部届けにサインをする俺を見て、小日向が苦笑して言った。
『実はね』
『小日向。余計なことは言わない』
『でも、先輩。芹沢君だってこんな無理矢理じゃ可哀想です。こちらの事情を話しておかないと』
『事情?』
首を傾げる俺。藤村副部長が小さく溜息をついて頷いた。
『あのね、芹沢君――』
小日向の話では、藤村副部長と部長の引退後は部員数が三名に減ってしまうため、一刻も早く部員を増やしたかったのだという。部員が減ることで何が困るかというと、文藝研存亡の危機という問題。そして顧問への恩義の問題。
『文藝研はね、古典が苦手だったあたしに尾花が補習してくれたことがきっかけでできたのよ』
尾花佑介(オバナユウスケ)は、七ノ森の古典担当教諭だ。ちなみに偶然にも俺の属する一年B組の担任でもある。二十七歳、彼女はなしと聞いていた。
『他の教科はできてもね、古典だけはてんでダメだった。だけどできないのが悔しいから、その時古典を担当してた尾花に補習を頼んだわけ』
『藤村先輩、負けず嫌いですもんね』
しかし、二人きりでの補習が続くと色々よくない噂も出てくるかもしれない。そこで尾花は文藝研究会を創設し、顧問として藤村副部長の古典をみていたのだという。
しかし、それなら何故藤村女史が部長ではないのかと俺が素朴な疑問を投げかけると、彼女は肩を竦めて答えた。
『他のサークルで部長をしているからね。部長兼任はNGなのよ。だからあたしは副部長ってわけ』
それはそれでよかったと俺は安堵した。もうすぐ引退とはいえこんな人が部長なんて、と考えてしまう。しかし次の瞬間、俺はそう思ってしまった自分が情けなくなった。
『……だから、できることなら失くしたくないのよ』
鈍い俺でも分かった。
この人は、この文藝研を、尾花をすごく大切に思っているのだと。
そりゃ、そんなことを言われたら入らないわけにはいかないわけで。
でも入ったら入ったで、この有様で。
高校一年生の俺がこんなことを言うのもどうかと思うが、俺は酒が苦手だ。
正月で親戚が集まった時にほんの少しだけ飲まされて、それだけでもうその後の記憶がなくなって、次の朝なんて頭が痛くて痛くて起きられなかった。
というかですね。俺達新入部員のための歓迎会だからって、高校生が酒飲んじゃダメでしょ。
『硬いこと言わないでよ。ほら、飲め飲め』
『江利香ちゃん、そんな無理矢理はダメよ』
さすがに藤村副部長を見咎め、萩野喜久子(ハギノキクコ)部長は苦笑した。副部長と比べてしまうからか、随分おっとりしているという印象だ。優しげな笑みを向けられると、ついつられて俺まで笑みを浮かべてしまう。
彼女からコップを取り上げ、先程二年生だと紹介された御形昭平(ゴギョウショウヘイ)先輩へ手渡す。茶髪の長髪を後ろでまとめたその風貌は、文藝研究会に所属しているとはおよそ思えない。
にこにこというかへらへらした笑みを絶やさない御形先輩は、そのコップの中身を一気に飲み干し、俺を驚かせる。