Incarnation of evil-1
6
ドアの向こう側には、円形の光の壁があって、僕はその中を浮遊している。光のトンネルのような場所だ。無重力空間というのはひょっとしたらこんな感じなのだろうか、と僕は思う。何の圧力も力も感じない。僕の体は光のトンネルの中に、自然と存在している。前に進もう、と意識すると僕の体は前進する。そこに何かの物理的な力や動作は必要ない。僕はただ、僕の意思だけで前に進むことが出来る。右に曲がろうと思えば、僕の体は右側に進み、光のトンネルは僕の意識に調和して右にカーブを描く。
そのように飛行していって、光のトンネルを抜けると花畑に出る。そこは僕の住んでいた世界よりも、あるいは静止した世界よりもずっとずっと美しい。色とりどりの花が当たり一面に咲いていて、遠くの方には風車が見える。すぐ近くには噴水とベンチがあって、そこには赤ん坊が座って本を読んでいる。生後間もない赤ん坊はそれでも髪はふさふさに生えている。頭はびっくりするくらいに小さい。思えば、僕はこれまでに産まれたばかりの赤ん坊を実際に見たことなどなかった。正直な感想を述べさせてもらえるなら、まあ、決して可愛くはないな。うん。
赤ん坊がベンチで読書をしている様は、どことなく奇妙で可笑しい。そもそもまだ首も据わっていないはずだし、関節もふにゃふにゃしているし、皮膚だってぷにゃぷにゃと柔らかな感じで全体的に丸い。なのに、ベンチに座っている。瞳は本を読んでいるくせに辺りに落ち着きなく視線を移動させているし、口は母乳を求めるように、ふもふもと絶え間なく動いている。唇の端っこからよだれが垂れている。赤ん坊の姿ははじめて見た僕には異常なほど小さく見える。その小ささが、なんだか可愛らしい。顔ははっきり言って全然可愛くはないのだが、その小ささと小さいのにちゃんと人間の形をしているところなんかが凄く愛おしく見える。総じて、赤ん坊は可愛いという結論になる。
「なにみてんだ〜」と赤ん坊は僕の方を睨んで言う。
「あー、え? 喋れるの?」と僕は驚く。
「みたらわかるだろー」と赤ん坊はぷんすか怒る。
「いや、いやいやいやいや」と否定しようとしても本当に赤ん坊が喋っているので、僕は「うん。分かった。悪かった」と認める。「何してんの?」
「ほんよんでるだろー」
「なんて本?」
「おかあさんからのてがみ」
「お母さんはここにはいないのか?」
「いま、ちょっとでかけてるんだ。はらへったー」
「ふうん。でも、君みたいな小さな子供って言うか、赤ちゃんをおいていくなんてひどいな」
「なにいってんだー。おかあさんはおまえを待ってるんだぞー」
「え? 俺を? 君のお母さん、俺を待ってるの?」
「そうだー」
ひょっとして、と僕は思って、訊く。「君のお母さんはルカっていう名前?」
「おかあさんはおかあさんだー。なまえなんてしらない」
まあ、そんなもんかな、と僕は思う。