Somewhere no here-1
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昼間の北海道留萌市は至って静かで、道行く車もまばら。人もほとんど歩いていない。当たり前だけれど、首吊り死体もそこには一体もない。<僕>は横断歩道を渡り、セイコーマートへ寄ってコーラを買い、それを飲みながら河川敷まで向かい、そこを深川市方面へ向けてまっすぐに歩いていく。濁った川の流れは緩やかで太陽の光を反射している。足元のタンポポにはミツバチが止まっているのが見える。
三十分ほど歩いて行くと、昨日首吊り死体だらけの北海道留萌市で見たのと同じ、「バンゴベ」と書かれた案内板を見つける。近くによって見ると、それは薄汚れた看板だ。所々に亀裂が入り、案内板を支える柱には錆がついている。<僕>は案内板から視線をはずし、バンゴベ区内を眺める。ここに何かがあるんだ、と<僕>は思う。でも、真昼の陽光に照らされる世界で見ると、そんな確信もほんの少しだけ揺らぐ。一体こんなところに何があるっていうんだっていう気分になる。それでも<僕>は進む。バンゴベ区内へと足を踏み入れる。
砂利の敷かれた狭い道を歩く。一面に広がる草原のどこからか、虫の鳴き声が聞こえる。<僕>の気配を察したらしい大きなバッタがぴょんと跳ねるのが視界の端に映る。シャツの中で、脇に汗をかいているのを感じる。鼻汗がひどくてそこを拭うと手のひらにしっとりと汗が付き、<僕>はそれをジーンズで拭った。空を見上げると、薄い雲がゆったりのんびりと散歩しているように流れていく。僕は視線を足元に移し、注意深く歩を進める。途中から、異質な大理石が姿を現すはずなのだ。そしてその先が<僕>の目指す場所だ。やがて、砂利は途切れ、途中から腐食した長方形の木材が敷かれている。木材は湿っていて腐っていて足のたくさん生えた気持ちの悪い虫たちの格好の住処であるように思える。<僕>は砂利と腐食した木材との丁度その境目で足を止める。一つ大きく息を吐き出す。これがこの世界における大理石なのか、と<僕>は自分に問いかける。その木材の上に足を踏み入れれば、何かが変わるのか? 本当に? <僕>は不安と恐怖とちょっとした疲労感から、なかなか足を出せないでいる。
一瞬強い風が吹いて、<僕>は我に返る。その風は誰かが背中を押してくれているようにも感じる。<僕>は深呼吸を二回して、ぎゅっと目を閉じ、腐食した木材の上に足を踏み入れる。
音が止む。
風の音も、虫の泣き声も、川の流れる音も、何もかもが聞こえなくなる。目を開けると、先ほどより辺りが暗くなっている。空を見るが、夜ではない。太陽は照っている。でも、その陽光の質がまるっきり違っている。一億五千キロも離れた太陽からの光線の力が弱まっているように感じられる。弱まったその陽光は全く同じ光度を保ったまま世界を照らしている。光は途切れないし、瞬かない。揺らめかない。世界は静止しているのだ。雲も流れていない。目を凝らしてみても、僅かほども動かない。このまま三年待ってみても一ミリも動かないだろう。
そして、<僕>は見る。少しだけ暗くなった北海道留萌市のバンゴベの草原に数え切れないくらいの死体があるのを。在る者は刃物でずたずたに切り刻まれていて、他の在る者は銃で撃たれて死んでいた。十五メートルほど先にある木からは三体の首吊り死体がぶら下がっている。まるっきり逆だ、と<僕>は思う。昨日見た留萌市では、大理石側に踏み入れた途端に世界の時間が動き出したのだ。でも、実際の<僕>の世界では長方形の腐敗した木材に足を踏み入れた途端に世界は静止した。これじゃあまるっきりの反対じゃないかと<僕>は思う。<僕>は後ろを振り返る。すぐそこに砂利道が見える。そこに体を移動さえすれば、この訳の分からない空間からは抜け出すことが出来る。戻るんだ、と<僕>は思う。何か良くない予感がするし、何より死体があちらこちらにあるこんな場所なんて気味が悪い。気色悪い。気分が悪い。ここには死が溢れている。