葉月真琴の事件慕〜欅ホール殺人事件-19
「僕は君を捨てるつもりは無い。ただ、一緒には居られないんだ。僕の背中にはもういろいろと掛かりすぎている……」
「私が乗る隙間も用意できないくせに、よく言うわ……」
由真の捨て台詞の後、彼女が下手からホールに抜けるドアへとはや歩きするのが見えた。そして、バタンと乱暴にドアが閉められた音が続く。
――う〜ん、なんだか気まずい……。
出るには出られるのだが、まだ一郎がそこにいるのだろう。そこへ真琴が出てきたとなれば、盗み聞きしていたこともしっかり伝わるわけで、気まずいことこの上ない。
だが、その心配も徒労らしく、一郎は手近にあった箱型の椅子に何かを入れると、そのままパタパタと足音を遠ざけていく。
「ふぅ……」
ようやく重圧のひと時から開放された真琴は、どっと来る真理的疲労を拭おうと額を擦る。
「……終ったかしら?」
すると控え室の扉も開き、真帆が顔を出す。
「みたい……」
「あは、真琴君も居た」
彼女は苦笑いを浮かべながら出てくると、上手側の通路を確認する。
「由真さん、平木先生に振られたのよね……」
「みたいですね」
さすがにあの場面から想像するのは難しくない。
要するに、一郎は合唱団の活躍のためにスポンサーである喜田川久美を取り、由真を捨てた。だが、由真自体は大切なスタッフであり、完全に切り捨てることはできていない。
「先生もそういうところがね。真琴君も気をつけなさいよ。優柔不断な男は女を不幸にするんだから……」
「は、は〜い」
今のところその問題は杞憂に過ぎないのだが、出来れば自分が他の女の子と一緒に居ることを、あの子が少しでも嫉妬していてくれたらと思う真琴だった……。
――**――
第二幕開演から数分後、澪と梓は二階のロビーから観客席へと移動していた。
出入り口は防音と音響を兼ねており、重い扉を二つ抜けてようやく観客席へと入ることが出来る。
ドアを開けると同時に拍手が巻き起こり、まるで自分達が歓迎されたかのように錯覚してしまうが、それは照明の下に照らし出される同級生へのもの。
下手から現れた白いドレス姿の真帆は、舞台袖で何かを探すような仕草をし、徐々に舞台中央へと移動する。
演目は「冴えない老猫」。童話というよりは風刺に感じられるタイトル。
「あ、居たっ! このイタズラ猫さんめ!」
可愛らしい彼女の声の先には何も無い。代わりに背景にあるスクリーンに眠そうな三毛猫が映し出されていた。
「そ〜っとよ、そ〜っと……」
「わかってるわよ……」
澪と梓は物音を立てぬようにそうっと歩き、最前列まで移動する。
他の観客の視界を邪魔しないように腰を曲げての移動はかなり辛いが、それも後しばらくと我慢する。
――もう、これじゃパンツ見えちゃうよ……。
制服のスカートは短めが基本。もちろん、他の子がそうしているからでしかないが。
この暗がりなら覗きこんでも見えることは無いだろう。だが、それで納得できないのが複雑な乙女心。澪は心配そうにお尻を隠そうとするが、そのとき背後で何かが動く音がした。そして気をつけないと気が付かないくらい小さな機械音。
「……!?」
立ち止まる澪。梓は先に席にたどり着いており、何事かと彼女を見る。
「……ちょっと澪、早く来なさいよ」
「は、はいはい……」
澪は振り返ろうとしたが、梓に急かされてそのまま移動する。
ただ、席についてからもう一度振り返ったとき、そこには今朝見知った男がいたような……。