春2.5-8
「でも睦月さん相手じゃ無理だよね〜、大人って感じだし」
「そんな事ないって。あの人ただのお人好しだよ」
な…っ
一瞬耳を疑った。
あたしがお人好しだぁ?
「えーっ、そうなの?」
「うん。バカなふりしてたら仕事全部やってくれるもん」
「バカなふり!」
「じゃあバカなふりして永沢盗っちゃえば!?」
「あー、いいかも!あたしご飯誘ってみる。どうせ定時で帰れるし」
ばか笑いが、あたし一人を笑ってるように聞こえた。
「…」
動けない。
利用してるつもりの相手に利用されていた…、これはかなりの屈辱だわ。
バカなふりか。
永沢をご飯に誘う。
勝手にしたらいい。あいつはあたしの男でも何でもはないんだから。
『睦月さんが好きなんです』
あたしは、あの言葉を信用してるんだろうか。
あたしはウソつき。
あたしは腹黒い。
あたしは優しくて仕事のできる女。
あたしは冷めてて動じない女。
ホントのあたしはどれ?
「お疲れ様でぇす」
新入社員はバカなふりして定時で帰宅。
あたしは騙されてるお人好しのふりをして笑顔で見送った。
新入社員の本性を知ったからってどうする事もできない。
だってあたしは優しくて仕事のできる女なのだから。
一人でいいじゃん、あたしはいつでもそうだったんだから。
全員上辺だけの関係なのだから――…
「…あ」
窓の外に永沢が見えた。
本社から戻って来て、もう帰るんだ。
随分楽しそうに笑って――
「…」
…あの子が一緒だった。
バカなふりした新入社員が極上の笑顔で話しかけてる。
永沢も、笑顔で応えてる。
今日初めて見た永沢の笑顔は憎たらしいくらい眩しくて、すごく遠い存在に感じた。
やっぱ、あたしを好きなんて、ウソじゃん。
胸の奥に黒いもやもやした感情が込み上げてくるのが分かった。
出会って数日しかたってない永沢のどこにそんなに惹かれたのか自分でも分からない。
もしかして、好きだと言ってくれるのが新鮮で嬉しかっただけかもしれない。
これは恋じゃないのかもしれない。
そう思おう。
それなら永沢を失ってもきっと平気だ。