【イムラヴァ:第一部】三章:春は幾度もめぐり来る-4
「今度こそ、か」テレル一家はエレンとは何の関係もない。むしろ東方からの流浪の民、チグナラの血を引く家系だが、長年ユータルスでの商売を続けた彼らにとって、エレンの行く末は全くの他人事というわけでもない。再び食卓は沈黙に陥った。若鳥殿下の奥方が亡くなった時にも、こんな雰囲気になったものだった。コルデン城が、アデレード奥方の死を悼んで喪に服すことを許されたのは、たった三日の間だけ。ヴァーナムの実の妹であったアデレードの死は、このトルヘアの地で、道ばたで枯れた花よりも容易く忘れ去られた。王都の砦の塀の中から、一度も出たことがない男との婚儀。鳥かごの中で子供を産み、一生を終える為だけに選ばれた彼女の死。ユータルスの領主も、領民も、今では滅多にその名を口にしない。あまりに悲しい出来事なのだ。
「ねえ、こっちにはまだ教父は来ていないのかい?」ルーカスのおかみさんのメイベルが言った。むりに明るい声を出しているが、不安げな目元に、はっきりと努力の影が見えた。普通、ユータルスほど大きな領地には、少なくとも一人、教父が派遣され、領地に常駐する。
「まだです。礼拝堂もあるし、村人はみんな国教徒ですけど」ウィリアムが言った。自分の家の事を語る時には、彼は少し大人びた表情になる。彼が立派な領主になるであろうと、他の者に確信させる瞬間の一つだった。隣にいるアランも、しっかりした青年ではあるけれど、ウィリアムの持つような責任感は、まだ無い。そのアランは、ウィリアムの『みんな国教徒』という言葉に居心地の悪さを感じていた。
「それがどうかしたんですか?」アランは内心の不安を隠そうと、興味のある風を装って聞いた。
「いやね、あんたらの所はさ、昔ながらの家名だろう?国教会のお偉方がね、教父さんたちをそういうところに寄越す前に、無理矢理に、領主のお家の名前を変えさせちまうって噂なんだよ」
「どうして!?」アランが声を荒げた。おかみさんはアランのそんな反応を予想していたかのように優しげに言葉を続けた。
「マクスラスなんて名字はさ、異教の名残が強く出てるっていうんでね、そういう事で名前を変えなきゃならなくなるそうだよ。教父さんが居ない村は、悪魔に呪われちまうってんだから、変えないわけにはいかないよねえ。この間も、マクリンクスの家が家名を変えたって、東の方で噂になっててさ」リンクスは山猫という意味だ。昔から、エレンの名字には動物や鳥の名前が多く出てくる。
「そんな……」アランは肩を落とした。自分たちを『鶫の子』と呼んでくれた人たちからの報せであるだけに、余計につらく感じられた。今まで慣れ親しんで、当たり前だと思っていたことをいきなり変えさせられる事への怒りがわき上がった。
「もし、逆らったら?この名前を変えないって言ったらどうなるんだろう」
「その時は、まぁ、この国じゃ国教の教えが法だからなあ。呪い云々はどうか知らんが、教会が王に上申すれば謀反と言うことになるか……異端者狩りで、そこいら中のエレン人が殺されてる。農民や難民だけじゃない。三年前のフィッツスナイプ家の話は有名だろう?屋敷ごと燃やされて一家全員処刑された。エレンじゃそれなりの貴族だったのに、裁判にかけられる機会も与えられなかったって言うじゃないか」ルーカスは、無理に言葉を押し出そうとするようにぼそぼそと語った。
「そんなのひどい!」アランは再び声を上げ、立ち上がった。「そんなくだらない理由で名前を変えさせられるなんて納得できない!そうだろ、ビリー?まるで脅しだ!」しかし、ウィリアムは肩をすくめて言った。
「家をつぶされるくらいなら、名前を変える方を選ぶよ」
アランは、彼の言葉に傷ついたものの、黙っていすに座った。ウィリアムとアランの間に温度差があるのは、今に始まったことではない。ルーカスは気遣わしげにその様子を見ていたが、やがて立ち上がると大きな声で言った。必要以上に大きく、陽気な声だった。
「おまえ達の気持ちはわかる。だが、俺にとっては、おまえ達はいつまでも鶫の子供だ、さて、そろそろ歌を聴かせてもらおうじゃねえか!」