緑原の雄姿-1
…パンッ!パンッ!
《今日もみんなが無事に走れます様に…》
馬頭観音様がまつられている小さな神社。そこで手を合わせた。
『よしっ!』
カメラを肩に掛け、競馬場に向かう。みんなの雄姿、それを永遠に残す為に…
−私〈朋香〉が初めて競馬に触れたのは、十年以上前の夏だった。たまたま観た競馬中継。画面に映し出された一頭の馬に目を奪われた。
たなびく金髪。光を放つ栗色の体。鼻筋に伸びる純白の線。そして、靴下を履いたかの様な真っ白な脚先。
『きれい……』
レース結果は3着。しかし私の心は、彼の姿に揺れ動かされた。
私はすぐさま行動に移った。毎日の様に足繁く書店に通い、競走馬が掲載された本を読み漁った。
写真からでも伝わる彼らの美しさ。
《私もみんなを撮りたい…》
その時、私の将来は決まった。
−大学に入ってすぐ、カメラの勉強を始めた。全て独学。撮影をしては何度も試行錯誤する。それの繰り返しだった。
そのおかげなのか、私は大学卒業と同時にカメラマンとして活動出来る様になった。
しかし、この世界はそんなに甘くはなかった。駆け出しの素人同然が撮影した写真。そう簡単には使ってくれない。
だが、そこに転機が訪れた。
突然、一頭の馬に襲い掛かった悲劇。それが私の運命を変えた…
−〔あーっ!
第4コーナー手前でで失速っ!!〕
歓声と悲鳴が交錯する。
ブラブラと力なく揺れる左前脚。しかし本能なのか、それでもなおゴールを目指し走り続けようとする彼。
騎手が力の限り、手綱を絞る。ムリにでも走るのを止めさせねば、そんな悲痛な思い。私にはそう見えた。
六年前の秋。G?レースで起きた惨劇。
予後不良。彼に、そして観ていた観衆全てに対して叩き付けられた現実。
ファインダー越しに見た彼の痛々しい姿。
…パシャパシャパシャパシャッ!
それに対し、心を鬼にしてシャッターを切る。
圧倒的人気を背に、快調に飛ばしていた彼は、わずか四年という短い生涯をそこで終えた…
私の脳裏に焼き付いたその姿は、今でも色褪せる事なく鮮明に残っている…
−競馬雑誌の巻頭を飾った彼の死。それは私の写真だった。これを境に、私の元に仕事が舞い込み始めた。
しかし、皮肉なものだ。美しさを求めていた私。けど、一番最初に評価されたのが『死』を写し出したそれだったとは…
私の部屋に飾ってある彼のパネル。風にたなびく尻尾。強く大地を蹴り上げる脚。それとはあまりにも違いすぎる姿に、何度も心が痛んだ…
−複雑な気持ちを抱えながらも、私は奔走した。毎日の様に馬を追い掛ける。厩舎や牧場、そして週末の競馬場。
彼らを撮影し、契約してくれた雑誌社や新聞社に写真を送る。毎日がその繰り返しだった。
しかし、それが続くにつれ、私の中にあった気持ちが希薄になっていった。そして、その事に気付かぬまま、シャッターを押していた…
−『どっか雑だな。』
大学の同級生〈和哉〉の一言。
『えっ…そうかな…?』
そんな事ないはず。いつも通りの写真。そう思っていた。
『どれ…』
もう一人の同級生〈明人〉も、写真を手にした。
『どうかなぁ…』
『うん、俺はよく撮れてると思うけど。』
『こいつは馬の事、全然分かってないから。』
『お前、随分だな…』
相変わらずこの二人が話し出すとこんな感じになる。大学生時代と変わってない。
…カランカランッ!
『あっ、いらっしゃいませっ!』
『よぉ、リン。相変わらずか?』
聞き覚えのある声。偶然、もう一人の同級生〈尚之〉が来た。
『はい、いつも通りですよ。そう言えばナオさん、あちらに和哉さん達がいらしてますよ。』
店員と軽く言葉を交わした後、私達のテーブルに近づいてきた。
『おぉ、何しとんねん、お前等?』
『久々だな、尚之。今日は珍しいヤツと会ってるんだよ。』
『やっほーっ!』
尚之の方を向いて、手を振る。
『あっ、朋香やないかっ!生きとったんか?』
『勝手に人を殺すんじゃないって。ホント、尚之は相変わらずねぇ…』
『リン、ビール!』
人の話を聞いてない…
『さて…ところで何や、こないなとこ集まって?』
『あぁ、朋香の写真の事でな。お前、競馬好きだろ?』
…プシュッ!
気が付いたら勝手に店の冷蔵庫を開け、ビールを飲んでいた。
『ナオさん…』
『エエやろ、いつもの事なんやし。で、何か言うたか?』
『…イイからこの写真見ろよっ!』
和哉がテーブルに乗っている写真の中から数枚を尚之に手渡した。
『ほぉ、どれどれ…』
椅子に座りながら写真を見る尚之。