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『てらす』
【歴史物 官能小説】

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『てらす』-9

義母の部屋は、相変わらず香が焚かれていた。
薄暗い室内に、紫色の煙が立ち込める。
異世界に迷い込んでしまったような錯覚を覚える。

「媚娘」

部屋の奥から聞こえた声に、私は身を低くした。
畳に額をこすり付けるようにしながら、違和感を覚える。
いつもと違う義母の声音。
まるで猫をあやす様な。

「媚娘」

再び呼ばれて、私は身を強張らせた。
それは、冷たさなど一片も感じさせない甘い響きだった。
それなのに、私の背を伝うのは冷たい汗。

「そんなに怯えないでおくれ」

なお甘ったるい声を出す義母に、私は息を呑む。
頭のどこかで警鐘が鳴っている。

「顔をお上げ」

そう言われても、私は動くことが出来なかった。
身体の震えが止まらない。
部屋には異質な空気が漂っていた。
妙な熱気を帯びた空気。

「ちょっと、やだ。お客様の前よ。これじゃあ、普段私がお前を苛めているみたいじゃないの」

恐る恐る顔を上げる。
部屋の隅に、兄の姿があった。
そして、見知らぬ老人。
部屋の中央には、相変わらず不気味なほど美しい義母が座っている。

「ほお、これは…」

老人が感嘆の篭った声を上げる。
黒衣を纏った得体の知れぬ老人だった。
皺で覆われた顔に、不釣合いな鋭い目が光を放つ。

「さすがは、名のある家のご令嬢といった所でございますな」

老人は嘗め回すように私を見つめた。
身の毛もよだつ、いやらしさだった。

「そうでしょうとも。手塩にかけて育てましたのよ」

口に手を当てて、ほほほと笑う義母。
平気で嘘をつく、義母の厚顔さに胸が焼け付く。
一刻も早くこの部屋から逃げ出したかった。
今、この部屋で何が起こっているのかわからない。
ただ一つはっきりしているのは、自分にとって良くない事が起きているということだけ。

「お前にも紹介しておきましょうね。こちら、長安からいらした袁天鋼(えんてんこう)様。都でも有名な道士様なのよ」

卑屈に老人が頭を下げる。
こちらにいやらしい目つきを向けたまま。

「そろそろ隻も、宮殿に入らなければいけない頃だから、袁天鋼様に人相占いをしてもらったんだけど…」

普段、私に向けられるはずのない義母の微笑み。
酷く妖艶で、浮世離れした微笑み。
偽りで塗り固められている。
そんな義母に見つめらて、私は身を竦ませた。

「ちょっと、お前に手伝って欲しいことができてね」

警鐘が鳴り響く。
義母はそう言って、壮絶な笑みを浮かべた。
文句のつけようがないほど、美しく。
けれども、ひとかけらの優しさもない笑みだった。
部屋の空気が張り詰めていく。

「て、手伝いで、ございます、か?」

喉が乾きすぎてひりひりする。
全身から汗が噴出すのを感じた。
無意識のうちに身体が後ずさっていく。
ずりずりと、無様に畳の上を擦って。


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