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『てらす』
【歴史物 官能小説】

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『てらす』-8

「あれだけご聡明な隻様ですもの。きっと立派なお役人様になられますわ」

「聡明…」

心なしか頬を赤らめて言う侍女を見ながら、私は違和感を覚える。
嫌悪感と言ってしまってもいいかもしれない。
神経質そうな兄の眼。
あの眼で見つめられていると、背中を蛇が這っているような寒気に襲われた。

「お嬢様」

酷く陰鬱な気分でいると、侍女が唇を尖らせて立っていた。

「もう、なんであんな素敵なお兄様がいらっしゃるのに、そんなお顔をなさるのかしら」

侍女は私が何を考えていたのかわかるようだ。
兄の話になると、決まって私は顔をしかめるから。

「やさしい人だけどね」

そう言って、私は作った笑みを返す。

「どこか好きになれないの」

仲が良い侍女にだからこそ言える、本音。

「困ったお嬢様」

侍女は冗談めいた呆れ顔を見せる。
私はそんな侍女に笑顔を返して、再び窓の外に目を移した。
相変わらずの雨。
しとしとと音もなく降り続く。
なぜだろう。
胸がざわつく。
どうしようもなく不安で、寂しくて。
まとわり付く湿気。
当たり障りのない侍女のお喋りに耳を傾けながら、私の心は深く沈んでいく。
厚い雲に遮られた陽の光は届かない。
どんよりと暗い、息の詰まりそうな部屋。
冷たい床を拭きながら、私は一人の少年を思い浮かべた。
融はどうやって雨の日を過ごすのかしら。
お日様の良く似合う牛飼いの少年。
目を閉じれば、融の旋律が聞こえてくる。
心の琴線に触れる笛の音。
雨の日なんか、別に珍しくないのに。
なんでだろう。
掃除なんか今すぐ放り出して、融に会いたかった。





義母に呼ばれたのは、夕餉の支度をしていた時だった。
朝から降り続く雨の音が屋根に響く。
いつもならば今頃、真っ赤な夕焼けが見られたのに。
庭を見渡せる廊下を歩きながら、私はそう思った。
足が重い。
義母の部屋に行くときはいつもそうだ。
今日は何のことで叱られるのかしら。
思い当たる節はない。
でも、義母の機嫌が悪ければ、私は怒られるのだ。
だから、原因を考えるのは随分前に止めた。
ただ、足が重い。
それだけ。
一日中降り続いた雨のせいで、廊下は湿っていた。
あれだけ丹念に拭いた客間の床も同じかもしれない。
そう思うと、足だけでなく、肩まで重くなった。


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