投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

『てらす』
【歴史物 官能小説】

『てらす』の最初へ 『てらす』 20 『てらす』 22 『てらす』の最後へ

『てらす』-21

「壮絶なまでの美しさですな」

皺枯れた老人の声。
不思議なことに、その声に怒りも悲しみも覚えない。
諦めにも似た感覚。
この気の触れた老人には、何を言っても無駄なのだと。

「月明かりに照らされ、涙に濡れた美女の顔…」

老人の声は感極まったかのように震えていた。
死んでしまったかのように、気絶した兄の上を無遠慮にも、老人の足が跨ぐ。

「長く生きている私も、こんな相は初めて見ますぞ…」

老人が近づいてくる。
それでも、私に抵抗する術はない。
ひどく投げやりな気持ちで、床を見つめ続けた。

「例えようのない龍顔、まるで…」

ぐっと顎を捕まれた。
皺に覆われた老人の顔が視界いっぱいに拡がる。
吐息が顔にかかる。
人の道を外れた老人の目が限界まで見開かれ、震える口がゆっくりと開かれる。

「…まるで、天下人のような」

その言葉を聞いたとき、私は思い切り眉をひそめた。
…天下人?
貴族の暮らしもとうに捨てられ、泥水にまみれた服を着て毎日を過ごす自分。
肉親に犯され、土間に縛り上げられている自分。
叶うはずのない愛する少年との逃避行を―。

「くっ―」

思い切り唇を噛んだ。
こんな絶望的な状況でも、融を待ち続けている惨めな自分を―。
天下人、と言うのか。

「これ以上、馬鹿にしないでよっ!」

睨んだ。
思い切り殺意を込めて。
視線だけで、人を呪い殺すことができたらどんなにいいだろうと思いながら。

「ふふ…」

老人は、そんな私を嘲るように笑って。

「あうっ」

思い切り頬を張られた。
口の中に血の味を感じる。
情けなさ過ぎて、頬を涙が伝った。
惨めで、理不尽で、自分が世の中で最も弱い人間なのではないかと思ってしまう。

「貴女はそんな表情をするべきではない」

月光を遮るように、老人が立ちふさがる。
陰で隠れた老人の表情を読み取ることはできない。

「ダメですな。もっと時間をかけて教育しなくては…」

見下すように立ちふさがる老人に、私は顔を上げることはできなかった。
更けていく夜。
時間が経っていくという感覚が、どうしようもない焦りを産む。
結局。
この日、融が私を迎えに来ることも、助けに来てくれることも、なかった。


『てらす』の最初へ 『てらす』 20 『てらす』 22 『てらす』の最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前