『てらす』-2
「そんなことないよ」
私がそう言っても、融は聞こえていないかのようにどんどん進んでいった。
自然と私の足も速まる。
「この辺でいいか」
川べりまで来て、融は水桶を裏返す。
水桶から勢い良く落ちる汚水は、川底の土を巻き上げながら流れに飲まれていった。
緩やかだった川面が、わずかに揺らめいている。
「ありがとう」
日の光に目を細めながら、私は融を見上げる。
融はわずかに微笑んでくれた。
「媚娘」
私の名前。
融に呼ばれると、不思議な響きに聞こえる。
「少し休んでいこうか」
「早く戻らないと、お義母様に怒られちゃうわ」
「どうせまだ寝ているだろ」
確かに、陽はまだ上りきっていない。
少し迷ってから、私は川べりの岩の上に腰掛けることにした。
融は着物が汚れるのにも構わずに地べたに座り込む。
「ねえ」
「なに?」
珍しく融の顔が目線の下にある。
こうして見ると、やはり融の顔はあどけない。
日に焼けていなければ、幼子に間違えてしまうかもしれない。
「笛が聴きたい」
「そうだな」
融は少し考える仕草をした。
澄んだ大きな瞳。
そんな瞳が、辺りを彷徨った後に私を見る。
「俺も笛が吹きたくなった」
そう言って笛を取り出す融に笑顔を返して。
私は目を閉じた。
水の流れる音。
川のせせらぎ。
流れに乗るように。
旋律が聞こえてくる。
気高くて、儚い旋律。
まるで私を撫でるような。
悲しくて、優しい。
融の笛に呼応するように、私の胸が高鳴る。
まるで私は琵琶のよう。
融の旋律に弦を弾かれて高鳴る。
融と私は、調和している。
「……」
川の流れる音が次第に大きくなっていき。
融の笛は止んだ。
「素敵」
目をゆっくりと開ければ、融の微笑む顔がある。