『てらす』-10
「そう」
義母の命令は絶対だ。
それがどんなことであっても。
私に逆らう術はない。
不意に、背中が何かに当たるのを感じた。
いつの間にか、壁際まで下がっていたらしい。
逃げたい。
「どうしたの?」
呼吸が荒くなる。
心の臓が破裂しそうだ。
身体が言うことを聞かなかった。
「そんなに青い顔をして」
けれども、私に逃げ場はない。
罠にかかって怯えるだけの野兎のように。
「母上!」
不意に兄が声を荒げた。
それで、場の空気が変わった。
張り詰めていたものが、徐々に落ち着きを取り戻していく。
「あら、隻。もしかして、照れているのかしら?」
呼吸困難に陥ってしまいそうだった肺に、ゆっくりと空気を送り込む。
兄と、母が何かを言い合っていたが、聞いている余裕はなかった。
誰かが、背中を撫でてくれた。
振り仰ぐ。
「大丈夫ですかな」
「――!」
悲鳴は、声にならなかった。
皺くちゃに萎びた老人。
鋭い眼光は、狂気の熱を帯び、にたりと笑う歯は黄ばんでいる。
背中に感じる老人の細い指は、まさぐるように身体を這い―。
「い、いや」
爆発した。
私の中で、嫌悪感が爆発した。
「嫌ー!!」
居ても立ってもいられずに、飛び上がる。
義母の制止も無視して部屋を飛び出した。
その間際。
私を見つめる三人の六つの目。
それは人間を見てはいなかった。
獲物を見つめる獣のそれだった。