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『てらす』
【歴史物 官能小説】

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『てらす』-11

雨は冷たかった。
身体を打ちつける激しい水音だけが聞こえる。
走った。
闇雲に屋敷を飛び出して、私は走り続けた。
逃げた。
逃げられないとわかっていながら。
冷たい雨に、吐く息が白い。
地面を蹴るたびに、足に激痛が走る。
丘の上へと続く坂道。
息苦しい。
お腹の上の辺りが痛い。
それでも、私は坂を駆け上った。
こんなに長い間走るのは初めてかもしれない。
いつもならとうに膝をついている。
それでも、我慢して走り続ければ何かが変わるような気がして―。
いつも私は幸せだと自分に言い聞かせてきた。
それでいてなお吐き気がしそうなくらい嫌な現実から、逃れられるような気がして―。

「―――っ!!」

私は声にならない慟哭をあげて走った。
どんなに叫んでも、冷たい雨にかき消されてしまうとわかっていながら。





丘の上には、大きな李の木があった。
私が生まれる前から、ここにあった大木。
かつて父と眺めた世界は、この木の麓から見渡せた。
木に手をついた父は、もう片方の手で私の頭を撫でてくれた。
そんな思い出の木の姿を見たとき。
いつもと変わらぬ、悠然とした佇まいを見たとき、私の足は止まっていた。
よろめくように、木の根元に吸い寄せられる。
雨に濡れた髪は鉛のように重く、泣きはらした顔はぐしゃぐしゃで。
足が痛むのは当然で、慌てて屋敷から飛び出したせいか裸足のままだった。
黒い雲に覆われて色をなくした景色。
踝から流れる赤い血の色だけが嫌に鮮明だった。

「…誰だ」

突然、木が喋ったのかと思った。
李の木の根本から声が聞こえる。
雨音にかき消されてしまいそうな程、弱々しい声。
木の根本は、生い茂る葉のお陰でほとんど濡れていない。
そこに横たわる見慣れた少年の姿。

「融…?」

ゆっくりと私の頭が認識して、その言葉が口から出た。
涙でかすむ視界に、おぼろげに映る少年の姿。
お日様のよく似合う少年は、今雨の滴る大木の根本に横たわっている。
まるで襤褸のようになりながら。

「融!!」

少年の顔が酷く腫れ上がっているのを見て、私は声を上げた。
雨の中を泣きながら走ってきたせいで、自分の格好が乱れているのも忘れ、融に駆け寄る。

「どうしたの?」

少年の怪我は酷いものだった。
綺麗に澄んだ瞳が見えないほど瞼は腫れ上がり、鼻は潰れ、切れた唇からは赤い線が流れている。
泥水で汚れた着物に覆われて分からないが、身体が小刻みに震えている所を見ると、至る所に痣が出来ているのかもしれない。


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