走馬灯-16
「どうして、そうやって後ろ向きの考えするの?」いつものようになじるかおりは俺だった。フィットの丸みを帯びた車内は角ばったケンカが絶えない。いつものことになっている。言い争うとロクなことがない、そう考えているのは知っている。ただイラつきを軽減するためのクセには初めて気が付いた。ハンドルの頭頂部を左手・右手、指先でかわるがかるリズムをとる。
人は異常なストレスとは向き合わない機能をもっている。逃避・退行・発散・自己親密行動等で慰め、奮い立つのを待つ。自分が自分を待つ。今の俺とそっくりだが一点の理由で違う。徹底した攻めをやめないことにしている。
黙って付き合いを永らえるのは簡単だ。しかし根本は変わらないだろう。変えた先には何があるのか分からない、不確定な要素がある。今の俺が再び戻るのか、今の田宮が未来を歩むのか、結局、今は何も分からないということだけが分かっている。もし変えないで、かおりのストレスを俺が飲み込んでも、気休めに過ぎないことは承知している。先か後か、運命は変わるが繰り返しは免れられまい。
人を愛するということは、人の気持ちを愛するということ。愛とは自分と相手の気持ちが互いを向いている時に生じるもの。今、素直にかおりに向けられている気持ちは虚構ではない。かおりの気持ちを愛しているから、このままではいけないと思っているのだ。
問い詰められると黙り込み、殻に閉じ籠る。よくあるパターンだ。今日は確か別れた日。かおりは「もういい。」と言い放ち、車の外に出て、3年間会社に出社せずに、行方が知れなくなる。田宮はそれを知る術も理由もなかった。何故か入社の式典から目をつけていた小林が、かおりと付き合っていて、いつの間にかゴールインするわけだ。
今この瞬間からは過去は新しく、正しく生まれ変わる。かおりは今を諦めない。かおりは行方不明にならない。小林につけ入る隙を与えない。完璧だ。全てが逆転し、別れなくなる。田宮を人に戻したい。かおりを幸せにしたい。くじけないで最後まで問いただす。小林には悪いが、過去を、田宮を変える。
「ねぇ。清二。かわいそうだよ。痛々しいんだよ。」今まで俺が思っていたこと、かおりが思っていたこと、今までの俺が思っていたことを正直に話していく。田宮の手が完全に止まった。「それが清二の生き方だからって達観視してまとめるとか、そんな偽善者になんかなれないよ。そんなの本当の理解じゃない。ほっとかれたら本当の自分に気づけないんだから。」
いきなり田宮は震え出した。傷ついてもそれが栄養になる。この痛みは薬なのだ。容赦なく突き進む。「お願い。1人で生きないで。そんなのって虚しいし、悲しいだけだよ。私を信じて、私と生きて。私は絶対に離れないから。」自分で言っていて泣けてくる。かおりの気持ちと今の俺の気持ちが共鳴している気がした。
田宮の突然の怒鳴り声が雷雨を連れてきた。それぐらいタイミングが良かった。「お前に何が分かる?!」分かるんだよ。俺はお前だから。同じセリフをこの時点で吐露できたのは紛れもない前進だ。フロントガラスを雨が強く打ち始めた。田宮の心も雨に打たれ、冷たく、痛がっているに違いない。「知ったような口を聞きやがって。」知っているんだよ。俺はお前だから。
「なんでいつも俺ばかり疎まれるんだ。腫れ物扱いはもうたくさんだ。一生懸命やっているだろう。真面目に誠実にやっているだろう。なんでだ。」追い詰めた方も胸が痛む。自分が泣きじゃくっているのを見て、とても幼く感じた。今の俺がこうしていられるのは前の自分が身体を張って殺してくれたからだ。俺は、田宮は変われる。