深淵に咲く-3
「どうして他の子を傷つけるの?」
「……手に入れるため」と茜は一瞬言葉に詰まった。それを、美優は見逃さなかった。
「手に入れる? 何を?」
「わたしの夢。手に入れるために。こうすれば手に入る。お母さんも、お父さんも、欲しいものを手に入れるために、こうしてきた」
中にある感情全てがどこへと抜け出してしまったかのように、茜は無表情だった。
「でもね、人を傷つけるのは良くないんだよ」
「……それはわたしもわかっている。けど、手に入れたいの」
「何を、手に入れたいの?」と、少々怒気を孕んだ声を発した。自分の願いの為だけに、回りの子を傷つけているという彼女の言葉を聞いて、美優の頭に血がのぼってしまった。
「――花」
「花?」
「そう、光のない夜に咲くの」
「それが欲しいの? 何なら、私が商店街の花屋で買ってくるけど」
「お店には、売ってない」
表情を曇らせて茜は首を振った。
「どうして?」
「一晩しか、咲かないからだと思う」
「そんな花ってあるの?」と美優は眉をひそめた。
光のない夜に咲く、それも一晩限りの花。そんな花は存在しているのだろうか。美優は脳内に花の像を思い浮かべてみたが、どうにも上手くいかない。自分の知る花がごちゃ混ぜになり怪物じみた形へと変化したところで想像を断念した。
「ある。絶対に」
茜の声に初めて抑揚が生まれた。
彼女の反応を見るに、童話か何かに登場する花を現実にあるものだと信じ込んでしまっている可能性があるなと、美優は思った。しかし、夢をぶちこわすような発言はできない。サンタクロースなんて本当は居ないんだよと、サンタさんを信じている子供に教えても泣くだけだ。最悪心の傷となってしまうだろう。それは、絶対に 良くない。
「人を傷つけてでも、欲しい物なの?」
「……そう」
――さてどうしよう。
美優は目の前にいる彼女の瞳を見つめ感じた。
本当は人を傷つけたくないのではないか、と。
彼女は「傷」という言葉に度々動揺し、返す言葉が半拍遅れる。虚ろな瞳が微かに揺れ動き、唇が閉じず開かずの中間を行き来した。しかしそれは一瞬の出来事であり、美優の見間違いだったかもしれない。
「お父さんも、お母さんも、そうやって手に入れた。欲しいものを、手に入れたんだよ」と茜は意味ありげな瞳を美優へと向けた。
託児所の職員ならば茜のこの表情を『挑戦的』と感じた事だろう。しかし美優には、別の言葉を発したいのに、口にできなくて苦しんでいるような表情だと思えた。
「それってどういう事?」
「……」
美優の言葉に返さず、茜は天井を見上げるとそのまま動かなくなった。
「花、ねぇ」
口に出して考えるが、やはり脳から答えははじき出されなかった。
美優は部屋を出て顎に手を当てながら歩いていると、ジャラジャラと金属の鳴る音が聞こえてきた。
「美優ちゃん、どうだった?」
「ああ、シスター」美優は表情を暗くし、「だめでした」と首を横へ振った。
落胆する美優に、シスターは笑顔で「お疲れ様でした。ありがとうね」と労(ねぎら)った。
「ああ、そうそう美優ちゃん。台本の方はもう上がりそう?」
「あ! ああ……う、うう?」
美優は自らの筆が止まっている事を思いだし、呻きながら頭を抱えた。
「あらあら、その様子だとあまりうまくいってないみたいね。けど、締め切りまでがんばるのは良いことよ。締め切りまでがんばって、もし完成できなかったら、私が何か代りの戯曲を用意するから。体を壊すくらい無理はしないようにね」
――体を縛るくらい無理をするのはいいのだろうか?
「あ!」
全身に電気が流れたように、美優は素っ頓狂な声を上げた。