やわらかい光の中で-60
「それを聞いて安心しました。それではよろしくお願いしますね。今後の細かいスケジュールに関しては高沢君の方から説明があると思うけど…申し訳ないんですけど、僕はこの辺で…」
杉山は慎治を拝むように自分の顔の前に片掌を立てて、腰を上げた。そして最後に高沢に向かって「じゃっ後はよろしく。」と言って、その部屋を立ち去った。
高沢が杉山の後姿を座ったまま頭を下げて見送っていたので、慎治もそれを真似て、彼の方に体を向け、頭を下げた。
「良かったな。」杉山が障子を閉めたのを確認すると、高沢が言った。
「4月には、役員の中で自分の推薦する人員の発表がある。
さっきも常務が言ったように、9月中には最終5人に絞られ、10月に総本社の人間が来て最終選考になる。…お前、英語大丈夫だよな?」事務的に説明する高沢に慎治は小さく頷いた。
「確か、TOEIC800点いってたよな?それがどれくらいなのか、オレはよく知らないんだけど、日常会話はできるのか?」
「ネイティブ並みとまではいきませんが、大抵のことならわかります。
慣れれば単語もスムーズに出てくると思うし、一応、今でも英会話に通ってるので、本気で頑張れば、10月の面接までには今以上にしゃべれるようになると思いますが…」
不安を感じながら慎治が言った。
「そうか。じゃぁ、死ぬ気で頑張れ。コミュニケーションが取れなければ落選は確実だからな。
場合によっては通訳がつく事もあるだろうけど…うちにはしゃべれる社員が多いからな。…まっ話せるに越したことはない。
それから、実際にアメリカに行くのは早くても来年の春だ。
プロジェクト自体もいつからスタートになるか、正式にはまだ発表されてないらしい。
内々でも決まってないのか、どうなのかもよくわからない。総本社はこの件に関しては、かなりナーバスになってるみたいだ。
それだけデカイことができるのかもしれない…これはお前にとっては本当にチャンスだぞ。
それに…内藤が選ばれることが、杉山常務や私の今後にも影響してくるから…。
まっ、それはいいとして…
杉山さんは偉くお前を気に入ったようだ。
推薦するなら既婚者の方がいいんじゃないかと何度も言ったんだけど、それでも内藤君が良いと言い張った。
今のプロジェクトのリーダーにお前を据えるように指示したのも、常務なんだぞ。だから、このプロジェクトでの失敗は、絶対に許されないからな。
肝に銘じておけ。」
残っていた鯛のお造りに箸を伸ばしながら、高沢は言った。
「それから、結婚はやはり難しいか?
お前のネックは結婚と英語だけなんだよな。
キャリアと適性だったら申し分ないと思うんだけど…。まっ、あんまり言うと芳しくないか…」
困った様子で高沢は言った。
「やっぱり、結婚してないと駄目なんですか?」伺うように小さく慎治が言った。
「役員クラスにしか知らされてない社法みたいなものがあって、それにはそう書いてあるらしいんだ。
…というのも、現地で奥さんを見つけちゃったら、その奥さんが日本についてきてくれればいいけど、嫌がったらさ、色々難しい問題もあるじゃん…だから、まっ、そういうことだ。
まぁ、海外に赴任するくらいの人材なら、日本でも欲しい人材ばかりだから、確実に帰ってきて欲しいということだろうけどね。」
高沢は声を低くして言った。
「今回は対象が若いから、独身でもより優秀な人材を、ってなるんじゃないかって杉山さんは言うんだけど、オレは正直なんとも言えんな…内藤の今後のことを考えても、この時期にアメリカに行けるのは、いいビジネスチャンスだと思うんだよ。」
その言葉に慎治は大きく頷いた。
「とにかく、お前なら大丈夫だと思うけど、仕事でのミスだけはするなよ。そんなことしたら、致命傷だからな。」そう言うと「ビール飲むか」と、空の瓶ビールを持ち上げて慎治に聞いた。