かつて「茅野ちゃん」かく語りき-3
「ふぎゃっ」
「わあっ」
ただでさえ低い鼻をぶつけてしまい、情けない声が出た。
「茅野さん！？」
「ご、ごめん。滝田君」
よかった、他の人じゃなくて……とほっとしながらも、悪ふざけが過ぎたことを反省する。
しょんぼりしたあたしに気づいたのか、滝田君はほほえみながら口を開いた。
「どうしたんですか。こんなところに」
こんなところって……。
書架を見渡すとさっきあたしが居たところである。つまり、歌麿に始まる春画コーナーなわけで。
「そっちこそ」
逆に問い詰めてやると、彼は涼しい顔をして「芸術鑑賞です」と答えた。あたしは黙ったまま、滝田君の隣りで一緒に鑑賞した。
うっとりした表情で男の人を受け容れている女性を見ていると、なんだか悲しくなってきた。
あたしにも、こんな日が来るんかなあ。
「どうかしましたか？」
気がつくと、滝田君が心配そうにあたしの顔を覗き込んでいた。
全く、このヒトは良くも悪くもカンが働きすぎる。
「……今日、ジュンがね。滝田君はキスがうまいって言いよったよ」
「！！」
目を白黒させて驚く彼の顔がおかしくて、あたしはさらに続けた。
「ホントにそうなん？」
「知りませんっっ！！」
あたしの前で平気でやらしー絵を見よるくせに、こんな話題には照れるんじゃ。変なの。
新しい滝田君の一面を発見し、ジュンと話すネタにしようとほくほくしながら、「ほいじゃ、またね」と手を振った。
滝田君は耳まで真っ赤になっていたけれど、きちんとあたしに手を振り返してくれた。
帰り道、あたりはすでに赤ワイン色になっていた。
あの初体験から、今までに男性と交渉がなかったわけじゃあない。年相応に触れ合ってきたと思う。あの時のキズは、時間が解決してくれるじゃろうと思ったけど、全然ダメだ。むしろひどくなる一方な気がする。
初めてのヒトがいけんかったのか、あたしが緊張しぃなんか……。
どうしてもアレが「気持ちのええ行為」には思えん。裸でちちくり合うってのにも、不自然な感じがしてしまう。
触られても特になぁんにも感じなかったりで、悪循環を繰り返した。
そのせいか相手もつまらんらしく、付き合った男のヒトはオトナの行為に及ぶと大概離れていった。
春画に出てきた女のヒトは、あんなに気持ちよさそうじゃったのに。
なんでなんじゃろ。
もしかしたら、あたし、「不感症」ってやつなんかな。
こんなんで、藤川さんと無事初夜を迎えられるんじゃろか。
いやむしろ、コトの後にあたしのそばに居てくれるんじゃろか。
『ピリリリリ！』
「うひゃっ」
もんもんとする頭に冷や水をかけられ、現実にひき戻された。お構い無しに鳴り続ける携帯を手に取って、ディスプレイを見ると「藤川さん」の文字が。
胸の中にじんわりと幸せが広がる。
なんだかんだ言っても、付き合いたてじゃもん！
にやける顔をそのままに、声だけはしっかりしようと咳払いをした。
「はいっ」
『茅野ちゃん。急にごめん。今晩、時間ある？』
思ったより急いだ声に少し驚いたが、二つ返事でオーケーした。
『それじゃあ、君ん家まで行くから。待ってて』
「は、はい」
『ごめんね、バタバタさせちゃって。それじゃ、また』
「はい」
携帯をバッグにしまってから、「あたし、『はい』しか言ってないじゃん……」と自分に毒づいた。