はるか、風、遠く-7
ファサ…
頭の上から被せられた。
「貸すから、来てって」
「えっ、だ、駄目、遙が…」
断ろうとするあたしなんてほぼ無視して、遙は荷物を準備し始める。
「遙っ」
「岐(わか)れるまででいいから」
びしっ、と真面目な顔で言い渡された。思わず「はいっ」と頷くあたし。
だって遙が真剣な顔するの、初めて見たんだから。いつもニコニコ笑っている彼だからこそ、真面目な顔されると説得力があるのかもしれない。
あたしがそう答えた後、遙はまたあの笑顔であたしを見る。やんわりと広がる昼下がりの光のようなその表情はあたしの心を落ち着かせた。
「止んだね、雨」
生徒玄関の軒先に立ち、遙が空を見上げながら言った。ほんとだ、とあたし。
全く、嫌がらせか!止むならあたしがロードワークしてる時に止んでくれればよかったのにな。
「残念、太陽の残るうちに止んでくれたら虹がかかったのに」
遙は呟くように言う。虹、か。そういえばお昼に遙、虹がどうとか言っていたっけ。
「ねぇ、遙。お昼にさ、虹の麓には宝があるっていうのは迷信じゃないって言ったでしょう?」
遙があたしを見下ろす。外灯の光が、遙を更に大人びた表情に見せている。
「何が、あるの」
くす、と遙は笑って大空の下へ歩きだした。雲の切れ間からは瞬く星が見えている。
「何だと思う?」
悪戯っぽい口調。でもそれは全然卑屈じゃなくて。まるで、そう、夏の風のような爽やかさが感じられる。
「分かんないから聞いてるんだよー」
慌てて遙を追った。
「じゃあ探しに行かなきゃね、辿は」
「え?」
あたしは首を傾げる。
「きっとね、一人一人見つけるものは違うんだよ。でもそれはその人にとって大切な何かなんだ。夢とか思い出とか、愛する誰かとか」
遙は天空を見つめ続けている。
「だからね、辿。まだ見つけなきゃいけないものはあるんだよ。くよくよしていたって何も始まらないんだ。ね」
遙の言いたいことが、何となく分かった気がした。
「虹」というのはほんの例えであって、それはどこに存在するか分からぬ幸せのこと。追い掛けても追い掛けてもいつ辿り着けるのか分からぬ地点。
それでも、諦めなければ、そうすればいつか辿り着いて幸せの鍵である大切な何かを得られるんだってこと。
その勇気を得るために人は神を信じたり流れ星に願いを唱えたりするんだ。そうやって誰しもが、希望を得ながら前へ進んでいく。
だから辿も頑張ろう、前へ向かおう、そういうことでしょう?遙。
今国語のテスト受けたら満点かもしれない。
ありがとう、遙。
数歩先の所で「行くよ」と振り返る彼を見つめる。
遙なりにあたしを励ましてくれていたんだね。
「遙は、もう見つけたの?」
傍へ並んで、あたしは遙を見た。うん?と少し首を傾げてから遙はまた遠くへ瞳を向ける。
「…そうだね…きっと…」
吐息のようなその声は宵闇に静かに広がった。澄んだ瞳は微かな切なさを秘めている。
それが。それが蓬だったの?ねぇ、遙?
「あ、ごめん、行こうか」
遙が慌てたように視線を戻す。あたしに向けた表情は笑顔だったけれど、それは今までの笑顔とは違ってどこか寂しげで。
その瞬間、あたしの胸は激しく痛んだ。
あたしを慰めてくれて、支えようとしてくれているけれど、でもそんな彼も、本当は辛くてたまらなかったんだって分かったから。
あたしが重荷になるわけにはいかない、そう感じた。
「うん、帰ろうっ」
あたしは努めて明るく微笑む。蓬と蓮のことがある前の頃のような笑顔で、遙を元気づけるために。
この時あたしは、もう決して遙に迷惑はかけないと、蓮のことでは泣かないと心に誓った。