「今日もまたあの場所で」-4
「そ、正解。さすがに人生なんて難しいことについて考えているだけあるわねぇ。」
「まさかほんとに信じてんの?」
今度はこっちがやれやれと首を振った。
「何が?」
「だから、人生について考えてた、ってやつ。」
「あなたがそう言ったんでしょうが。」
「まさかあんな冗談を真に受けるとは思わない。」
まったく、鋭いんだか鈍いんだか。僕に嫌われてるってことには目ざとく気付いていたのに。もっとも、それは僕がそんなに隠していなかったせいかもしれないが。
ぱしっ…
呆れ顔でいた僕の無防備な後頭部が殴られた。本日二度目だ。ただこんどは平手だったから痛みは薄い。それでも不愉快なことに変わりは無い。目でそれを訴えるが、逆に睨み返された。
「言ったでしょ、嘘つかれるの嫌いなの。」
知るか!そもそもそれを言ったのは後のことだろうが。
「分かった?」
「…はいはい。」
正直、まだ不満だらけだが、ことを荒立てる事も無い。こっちが折れるのが一番だ。それで終われる。
「……」
「…」
とりあえず、岡崎との言葉の応酬がひと段落したところで、ふと顔を上げると、西の空が茜色に染まっていることに気付いた。いつの間にこんな時間になったのか。太陽は地平線のすぐそばに迫っていて、柔らかい光で朱色の景色を演出している。僕はひとしきりその景色を眺めた後、右側を―岡崎が居るほうを―見た。岡崎は、なんとも穏やかな表情で、じっと前方を眺めていた。赤い光の粒子を一杯に受け止めたその横顔は、今まで僕が見たことのあるどんな表情とも違うもののようだった。不幸せなようにも、幸せなようにも、またそのどちらでも無いようにも見えた。それから日が沈みきるまでの間、僕らは互いに会話を交わすことも無く、ずっとその景色を眺めていた。その沈黙はしかし、少しも気まずいものでは無かった。ゆっくりと地平と溶け合う夕陽と同時に、僕の心も周囲の朱の光に溶け出していくような、そんな心地よい錯覚を覚えた。
しかし、岡崎のやつ、想像よりずっとウラオモテが激しい。というか普段のあれはほぼ全部が演技みたいだからな。岡崎ファンの野郎どもがこれを知ったらどう思うだろうな。そう思うと笑いがこみあげそうになった。
「さて、と。」
不意に、岡崎が立ち上がり、それだけ言うと、とっとと梯子を降りていった。何の挨拶も無しか。別に不満でもないが。しかし岡崎は屋上の入り口の扉の前で立ち止まり、僕のほうを見上げた。
「明日の天気って、晴れ?」
唐突な質問に僕は一瞬眉をすくめたが、聞かれたのだからしょうがない。答えてやろう。
「天気予報じゃ、今週いっぱい晴れだって言ってたけど…」
それが何か?と聞いたら
「じゃあ、明日もここ来て。」
と言われた。何故?と聞き返すと
「私も明日来るから。」
と返ってきた。答えになって無い。だからなんで、ともう一度聞いたが今度はなんとも理不尽な返答。
「いいから来なさい。教師命令。」
教師でいるのがいやだったんじゃ無かったか?まったく都合のいい。
「分かった?」
腹の立つものはあるが、ここは大人しく承諾しておこう。恐らく、こっちが「はい」と言うまで納得しないだろう。すこし話しただけだが、そういう性格だということは把握した。それに、今ここでは承諾しておいて明日すっぽかす、という手段もあるし。
「…分かった。」
「よし、約束ね。」
そう言って笑った顔は、いつも浮かべている、大人びた『笑顔のお手本』のような整った笑顔とは違って、無邪気で、でも静かな微笑みだった。あるいはもう辺りが暗いから、錯覚してそんな風に見間違えただけかもしれないが。とにかくしかし、その笑顔は、明日すっぽかそうという気持ちを、4割減にした。
僕は今、階段の前に居る。上にのぼろうか、下にくだろうか、少しの逡巡をめぐらせた後に上へ行くことにした。どうせ暇だし、一応、約束した(一方的にされた)わけだし。わざわざ行かないことも無い。それに、岡崎と話すのも、そんなに嫌な訳じゃ無い。僕は岡崎が嫌いだ。ああいう完璧人間には必ずウラオモテがあるからだ。そう。実際ひどいウラの顔があった。しかし、一度そのウラの顔を見てしまえば、なんのこともない。ウラもオモテも知ってしまえば、もうそこにウラオモテは無い。そうなってしまうと、不思議と今まで抱いていた岡崎に対する嫌悪感は薄らいでいた。さらに言えば、僕は岡崎のあの性格(ウラのほう)を嫌いじゃない。歯に衣着せない物言いや、へたに気遣いしなくていい雰囲気。それに嘘が無い。少なくとも昨日岡崎は、少しも嘘をつかなかったし、嘘の自分を作らなかった。きっと本当は嘘を一つもつけないような性格なんだろう。でもそれじゃ、まともに世の中わたっていけない。それで嘘がヘタな彼女は結局すべてを嘘で固めた自分をつくるしかなかったのではないだろうか?…深読みしすぎか。悪い癖だ。