「アジアの闇を追え!〜後編〜」-4
「じゅん、しっかり守ってあげなきゃ駄目だぞ。脅すわけじゃないけど相手はただのヤクザじゃない。闇は相当に深いから絶対に軽率なことするなよ。もうここから先は文屋さんの仕事じゃない。国民の命を守るのはあたしたち、公務員の仕事なんだから」
西さんはもともとはDVの保護司だ。だが、厚労省入省後、いまは海外での仕事が多い。その多くは組織犯罪の手にかかり、売り飛ばされたりした邦人女性の保護である。捜査権が壁になれば警視庁の同志などとも連携する。西さんはほとんど語らないが、現地の情報・支援網のようなものも彼女個人の持ち出しでつくっているらしい。だから会うたび、貧乏暇なしだと言うのである。こういうことは決してニュースにはならないし、今回も西さんが現地を含めてどんなチームを組むのか、俺には知る由もない。ただし、出張期間は1カ月を見積もっていて、すでに上司のゴーサインは出たという。かなりの大仕事だ。
アメリカにはCIAがある。数年前、中東でトラップにかかり売り飛ばされたアメリカ人女性がいる。女性はベイルートの売春窟に売られた。そこでアメリカ政府は外交ルートを使ってレバノン政府を脅し上げ、一方でCIAが電撃作戦を敢行して女性を救出した。残念ながら日本政府にはこういった芸当はできない。もっともそのアメリカでさえ、サウジあたりまで売り飛ばされてしまえばどうすることもできない。
いまならまだ間に合う、その西さんの言葉を信じるしかない。
俺は経済部に異動になった。新しい部署で慣れないことばかりだ。ゆきへの嫌がらせは止まった。俺の周りには忙しいながらも平穏な日々が訪れていた。そんなある日の夜、西さんから一通のメールが届いた。
「裏社会には法則がある。その法則突き崩すため、アジアのいくつかの都市、これから絞り上げに行きます」
それから2カ月後、俺は西さんと夕食の食卓を囲んだ。
「西さんが病気になるなんて、よっぽどのことだよな」
「じゅん、もう疲れたよ。頻々とした所ばっかりだったよ」
「いつ帰国したの」
「2週間前、後は病院で点滴の日々よ」
「じゃ、予定より2週間延びたんだね」
俺は多くを聞かなかった。西さんの様子をみれば、任務を首尾よく終えられたことが伝わったからだ。
「西さん、ありがとう」
「これはあたしの仕事。じゅんにお礼言ってもらうことはしてないよ。向こうの頭も全部叩いておいたから、当分は安心していいよ」
「当分ってどのくらい?」
「半年くらいかな。簡単に諦める連中じゃない」
「半年か」
「じゅん、いずれ素人の子に手を伸ばしてくるとあたしは思ってたよ。ヤクザはかなり干上がってるし。いま犯罪の形態が大きく変わりつつあるのよ。例えばこの新宿でもこの前、朝鮮系中国人の暴走族グループが住田会の組長を射殺したわよね。あるいは仙台では山岸組と住田会が抗争始めた。でもドンパチやってるのは下の方だけで上はみんな繋がってると考えていい。下には敢えてガス抜きやらせた方がいいカムフラージュになるのよ。とくに中国マフィアは日本のヤクザと結構うまくやり始めた」
「確かに勝ち組は新興市場とかにしっかり進出してるけど、負け組のしのぎは必死らしいね。そういう連携もありか。そう言えば事件のあったガレージに中国製のピルが散乱してたんだよね」
「これは一般論だと思って聞いてね。アジアの闇、その根源を辿っていくと中国に行き着くことが多い。やはり中国は人口も多いし、犯罪のスケールも大きくなる。とくに一人っ子政策が大きく中国の農村社会を変え、その副作用に多くの人達が今も苦しんでいる」
「中国には黒戸籍が2億人いるって聞いたけど、それも一人っ子政策の副作用だよね?」
黒戸籍とは戸籍を持たない人のことだ。ほとんどが貧しい農村部の戸籍を買えない家庭の若者たち。彼らこそ人身売買の格好のターゲットになる。