DEAR PSYCHOPATH−9−-4
「無事だったんだ!」
チャールズはわずかに口元から笑みをこぼした。
「忍、さっさと乗れ!」
僕は頷いた。
「流、もしも逃げるって言うならお前が先だ。病院に行かなきゃ」
しかし、彼はそれさえ拒んだ。
「私の車は二人乗りですから。あなたが行ってください」
「何言っているんだよ、お前は怪我を・・・」
「忍」
僕の言葉を遮って、振り向いた彼の横顔は、ひどく悲しげだった。もしかするとそれは、揺れる炎の作り出した幻覚だったのかもしれない。けれど僕には、彼が泣いていると感じる程、悲しげに、優しげに、この瞳に映ったのだった。
この表情に理由があるのなら、それは多分、聞き分けのないだだっこのような僕だろう。僕は、きつく唇を噛んだ。ここから立ち去ることが今の僕に出来る全てだと、いやがおうにも理解させられた。
「何やってるんだ。さっさと乗れ!」
しびれを切らしたチャールズがクラクションを鳴らす。僕は彼を見ながら渋々頷いた。
「忍・・・」
思いを残したまま立ち去ろうとする背中から、不意に流の声が聞こえ、僕は足を止めた。
「あなたはサイコパスになりきれてはいません。ちゃんとした、正常な人間です。もしも、私がエド・ゲインをここで倒せなかった時、絶対にサイコパスとして戦わないでください。あなたはサイコパスとしてはまだ発芽したばかりの小さな芽です。けれど、人間としては、どんな花よりも大きく強い・・・分かっていますね?人として、戦ってください」
「・・・ああ」
彼の言葉に、振り返ることはしなかった。もし、もう一度振り返ったなら、二度と前へ進めなくなることを僕は知っている。
「分かったよ」
助手席に乗ったか乗らないかで、チャールズはアクセルを踏んでいた。流とエド・ゲインの姿は瞬く間に小さくなり、気がつくと、いつの間にか視界には誰もいなくなっていた。普段は口うるさいチャールズの言葉も、今はなかった。森を抜けると、赤々とした空は手の届かない所にあった。流と一緒に置いて来たのだ。
僕が喉咽のもつれるのを必死に堪えようとうつむくと、痛み始めた背中に夜の闇が降ってきた。
部屋の明かりを消すと、月の出ている外の方が幾分明るい。僕は、包帯だらけの両足を抱いたままで、ベッドからぼんやりとその景色を眺めていた。街外れだからだろうか。気味が悪い程、静けさだけが辺りを漂っている。まるで、しん、という音まで聞こえてきそうだ。ふと、闇に慣れた目で部屋の中を見回す。前回ここへ来た時よりも本棚の上のぬいぐるみが増えているような気がする。いや。
大切そうに並べられた大小様々なそれは、確かに増えていた。一番大きくて、ど真ん中に座っているクマのぬいぐるみ。新入りはそのクマの腕の中に抱かれて、というよりは挟まっているようにしか見えないのだが、とにかくその中にいた。
以前僕がゲームでとってやった青い鳥のぬいぐるみだ。ここが鈴菜の部屋だというとこは知っているはずなのに、あらためてそう思うと、体温が何度か上昇したような気がした。彼女のアパートへ転がり込んだのには理由があった。一つはそれがチャールズの提案であったこと。そしてもう一つは、僕ら二人の傷が思いの他ひどく、すぐに手当が必要だったこと。そのことを考えると、病院よりも近い場所といったら彼女のアパートくらいしか考えつかなかったのだ。彼女を巻き込みそうで恐かったが、今となっては後の祭りというやつだ。まぁいい。あいつはこの僕が体を張って守ってやればいいのだ。『仲間の一人も救えなかった僕に果たして何が出来るのか?』という不安が、一瞬脳裏をよぎったが、それをうち消すように僕は呟いた。
「だからこそ、今度は守るんじゃないか」
初めから弱気になっていたら、それ以前に諦めてしまっていたら、出来ることも出来なくなってしまう。諦めなければ、可能性はあるのだ。そう思えば思う程、僕の中では巨大な勇気が生まれていた。余裕や保証なんてものはどこにもない。
だからこそ出せるような、追い詰められた者のみが発揮出来るという、そう、まるで火事場のくそ力にも似た、出し惜しみないありったけの勇気だった。裏を返せば、それはエド・ゲインと共に業火の中に残った流の死を前提とするものであったが、仕方ない。こうでも考えなければ、僕は永久にこの勇気を手に入れられなかっただろう。現実は想像よりもずっとシビア出来ている。
「もう・・・やるしかないんだ」
僕は忍び込む月明かりを崩したひざに寝かせながら、一人、ひそかな決意を拳に込めていた。