硝子の瞳(1)-4
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昔といってもまだ6年程の時間になるけれど、僕はそれぐらい前からベースに触るのが好きだった。親が趣味でバンドをやっていた影響もあって、家の角にいつも置いてあった楽器を玩具代わりにして成長したものだった。友人達がゲームなどで遊んでいる間、僕はずっとベースと過ごした。幼少期から裏切らない物を挙げるとするならば、僕は真っ先にベースと書物を挙げるだろう。それぐらい僕にとってベースという楽器は身近な存在だったのだ。
中学生にもなると、親のバンドの一角を担う様になり、僕は様々な場所で演奏をすることになる。近くのライブハウス、文化祭、イベント、または路上だったり。学校の軽音楽部に所属し、数々のバンドを転々とこなしたりもした。
誰に教えた訳では無いが、僕が楽器を触れる人間だという認識は、ここで生まれたのかも知れない。それからの人生で僕は何度か物を教える立場になる事があったが、その内容のほとんどが音楽に関してだったから面白い。僕にとって、青春とベースは突き放せない妙な混合物だったのだ。
理美子が僕に教えを乞う様になったのもその辺から来ていた。
「ベース、上手いんでしょ?教えてよ。私上手くなりたいの」
真剣な眼差しでそう言った理美子には有無を言わせない力強さがあった。
「別にへる物じゃないんだし」
しかし僕は最初、この申し出を断っている。理美子に教える事が嫌だった訳じゃない。
むしろ彼女はとても優秀な生徒だった。僕の話しを良く聴き、言葉の意味を理解しようと心がけ、疑問を疑問で残さない努力をした。いつも僕の良い方面を見つめ、そしてその全てを吸収しようとしていた。なにより彼女は勤勉で辛抱強く練習と向き合う素晴らしい性格と才能を持っていた。先生にとって最高の生徒であった事は間違いない。
けれどそれは結果としてそうであっただけで、元々僕は人に何かを教えることが苦手なタイプだったのだ。
「嫌だよ。なんで僕が君に教えなきゃならないんだよ。自分で勉強したら良いじゃないか」
僕は確かこんな風に言ったはずだ。彼女はその言葉を聞いて少し悲しい顔をして(だけど直ぐに元に戻った)言った。
「私は、貴方に教えて欲しいって言ったのよ。誰に教えて貰うとか、自分で勉強するだとか、そういったことじゃ無いの。貴方に教えて欲しいの。……それが理由じゃ駄目かしら?」
妙に説得力に満ちた言葉だった事を今でも覚えている。心の奥底をドンドンとノックする様なそんな言葉だった。
僕はそれきりなにも言えず、彼女は勝ち誇った顔で僕にベースを手渡した。
「これからよろしくね、先生」
頷く以外に、僕に出来る事は無かった。