ふたまわり-12
「ふみ子ったらね。後藤さん家の新屋のくせにさ、着物を新調したんだってぇ。うぅん、小夜子はね、着物はいらない。」
大福を喉に詰まらせながら、慌ててお茶をすする茂作翁に
「だからぁ、着物はいらないって。その代わりに、お帽子が欲しいの。つばの広ーい、お帽子が。」と、続けた。
「そ、そうか。帽子でいいのか、着物じゃなくて。」
「そう、お帽子。小夜子、聞き分けのいい子でしょ?お父さんを困らせるようなことは、言わないわょ。」
ほっと胸を撫で下ろす茂作翁だったが、はてさてどこで見たものかと気になりだした。
「で?どこのお店にあったんだ?」
「うん。“milliner”という、お帽子専門のお店ょ。」
「はて?隣町にそんな名前の店、あったかな?・・・」
「いゃあねぇ。あのキャバレーと同じ通りに、あったじゃない。」
こともなげに言う小夜子に、茂作翁は困惑した。
「どうやって買うつもりだ?また出かけると言うのか?」
「大丈夫ょ、お父さん。佐伯家の正三さんがね、次のお休みの日にお出かけになるの。それでね、お願いして連れて行ってもらうつもりだから。」
「小夜子。もらうつもりって、あちらの了解は取ってるのか?」
目を輝かせている小夜子に、危うさを感じてうろたえる茂作翁だった。
「大丈夫、大丈夫。心配ないわよ。」と、笑みを浮かべながら小夜子は離れた。
“一人で行くなんて言ったら、顔を真っ赤にして怒るでしょね。さあてと、急がなくちゃ。話を合わせてもらわなくちゃね。”
正三とは、まだ面識のない小夜子だ。さすがに正三本人に声をかけることははばかられる。正三の妹幸恵が、小夜子の一学年後輩だと言うことは分かっていた。で、幸恵を介しての接触を考えた。
“正三だと!ふん。あんな小せがれなんぞ、小夜子には不釣合いじゃわい。仕方ない、儂が行こうか。”
「小夜・・」
呼びかけようとした茂作翁だったが、戸口に佇む小夜子にハッと息を呑んだ。夕陽に染まり金色に輝く小夜子、その神々しさに思わず手を合わせてしまった。
“南無法蓮華経、南無法蓮華経、南無法蓮華経、・・・”
“天子さまのお子さまでも、小夜子には不釣合いじや。”
思わず呟く、茂作翁だった。
翌日、小夜子の行動は素早かった。正三の妹、幸恵を見つけるや否や、
「ねぇねぇ、あなた佐伯幸恵さんね?ちょっとお話があるの。こちらに来てくださるかしら?」と、呼びつけた。
数人の女生徒と話に興じていた幸恵は、突然のことに目を丸くした。
「あのぉ、竹田小夜子さま、ですょね・・」
小夜子の女王然たる振る舞いは、学校中誰ひとりとして知らぬ者は居なかった。家格が特段の上ということはない。家格から言えば、幸恵の家は佐伯の本家である。竹田の分家である茂作翁は、はるかに格下だ。
にもかかわらず、皆が
“小夜子さま”と、呼んでしまう。高飛車な態度をとられても、何故かしら小夜子相手では、皆がそれを許してしまう。
この町にあって、小夜子以上に“モダンガール”という呼称の似合う女性は居ない。スラリとした長身に細く長い首、そして小顔。八頭身美人の少なかった当時において、際立った存在だった。