始まりと、終わりの日(あの夏4)-2
「ねえ、こういうときって、お礼したりするもの、だよね?」
首を少し傾げて訊くその姿は、何故かわざとらしさが感じられなくて不思議だった。
「そんな。いいです、お礼なんて。店に落ちてただけですから」
「ううん。やっぱり、そんな訳にはいかないわ。ねえ、ここの仕事は何時まで?」
「五時、ですけど…」
僕がそう言うと、彼女は黒目を天井に向け、手を髪にやる。考える、仕草。
「じゃあ、五時半に駅前の喫茶店で待ち合わせ。どう?なんでも食べてくれていいから」
僕が何も言えないでいるうちに、彼女はさっさと行ってしまった。
「来てくれても、くれなくてもいいから」
そう、言い残して。
困ったな。断る理由は僕にはない。
「ねえねえ、あの娘と知り合いなの?」
急に後ろから声をかけられて振り返ると、パートのおばちゃんが、にやにやしながら立っていた。
「まさか。落とした財布拾っただけっす」
「ああ、そう。あの娘、綺麗だけど、変わってるわよねえ。毎日、アイスを二個だけ買ってくでしょ。安いやつ」
そう言ったおばちゃんの眉間に皺がよる。
「そうみたいっすね」
「だけどね、この前、珍しく男の人と来てたのよ。買ってったのは結局アイスだけだったけど」
そこまで言うと、満足そうに、おばちゃんは仕事に戻っていった。
別にそんなこと、どっちだっていい。恋をしてるわけじゃないし。
僕はバイトを終えると、待ち合わせの喫茶店へと走った。
約束の時間よりも十五分も早く。
だけど、彼女はもうそこにいた。
窓際の席、黒いカバーをかけた本を読みながら。
「あの、すみません。待たせちゃいましたか?」
彼女がゆっくりと顔をあげた。
「ううん、大丈夫。歩きながらアイスを食べてから、ずっとここにいたから」
「え、あれからずっとですか」
「そう。今日はね、わたし暇なの。…座れば?」
本を閉じ、僕にむかって笑いながら、彼女が椅子を指差す。
首を少し傾げる、その仕草はどうやら癖らしい。
…笑顔を見たのは、初めてだった。
「今日は、アイスがひとつだったんですね」
彼女は、本当になんでも頼んで、と言ったけど、結局僕は紅茶だけを選び、注文を終えるなり、彼女にそう話し掛けた。沈黙は苦手だ