蒼い殺意-5
(三)人間性
彼は、心の中を見せない。他人の侵入を極端に嫌う。それ故か、彼の部屋を訪れる者はいない。仲間と友人。彼は、区切りをつけている。それが何故なのか?今まで考えもしなかった。が、学友との口論から、それを考えるに至った。
ー町工場での俺は、労働の代価を受け取る。しかし夜学での俺は、支払う側のわけだ。当然、時間の自由があってしかるべきだ。労働中の俺に、自由の無いことは理解できる。しかし何故に、授業の選択が許されない?規則だからと、諦めにも似た気持ちになっている。入学時の誓約書は、強制であり交渉事ではなかった。町工場への就職時には、形だけであっても交渉があった。
町工場においては、能力差がある。しかし、夜学には無い。同レベルと見なされている。或意味での侮辱ではないのか。正当な判断を下さないその行為は、偽善ではないのか?教育という美名の下の授業。誇らしげに語る教師、卑下するかの如き物腰の教師、俺には教師の選択が許されない。
マスプロ化された授業。言い古された言葉の羅列。過去の説明に始まり、昨日の体験に終わる。まるで、未来の探訪を邪道と決めつけている。今日の我々の悩みは、授業ではタブーとされる。放課後の課題だという、今知らねばならぬことでさえ。しかもその放課後、誰も居ない。
我ら夜学生の悩みは、同世代の悩みと同じの筈。現体制化の矛盾、疑問。現在の道徳の矛盾、疑問。異性との恋愛問題。具象がいけないならば抽象で、というわけにはいかないこともある。性の問題は、タブーなのか?
”若者にとって、人生で最も重要な「恋」については何も教えてくれないのか。”
言葉が万能だとは思えない。仲間と友人。仲間とは具象であり、友人とは抽象なのか?仲間という言葉に、過剰反応する教師、生活指導部長という肩書きが恨めしく思える。
教師に、反省は無いのか?学生の要求は越権か?教師と生徒ー特殊な関係と言うのならば、世間での上下関係とは異なると言われるならば、「全てにスーパーマンたれ!」と思う。
彼は、口論を好まない。他人との深い繋がりを嫌う彼だった。或意味で、弱者の立場を望む彼だった。しかし、常に強者としての己を、彼は彼自身に要求していた。彼は、保護を求めぬかわりに、他者への救済を拒む。涙を嫌う彼だった。涙を流す余裕を嫌う彼だった。が、私は知っている。彼は涙もろい人間だ。かつて「家なき子」の読後、泣いていた。
部屋の隅で小さくうずくまる彼は、さながら動物園の檻の中の小猿である。怯えを隠すことなく、うずくまっている。
「もしこの俺に時間を止める力があるとしたら、まず何をする?」
彼の思考は、具象を伴うのが常だが、抽象の産物としての具象に過ぎない。陶淵明作の「飲酒」の一部を引用して、彼の思考を聞くことにする。
採菊東離下 悠然見南山
山気日夕佳 飛鳥相興還
比中有真意 欲辨己忘言
「sex を否定した俺だが、案外、それかもしれない。プラトニック・ラヴの存在を否定する者がいるが、俺は信じる。少年期における思慕を、ラヴと見るか否かが出発点だった。あいつは、愛なきfreesex は断固許せぬと言う。しかし、俺はそう思わない。sex の神格化は、sex への侮辱と思うからだ。子孫繁栄の為のsex など、くそくらえだ!人間の自由の束縛だ。
もっとも、かく言う俺がsex の否定を口にするからややこしくなる。激しい歓喜を伴うだろう一時的な快楽よりも、微弱かもしれぬが永続的な歓喜を、俺は望む。少年期のほのぼのとした淡い感情がいい。・・・、裏返しかもしれない。極端な程の好奇心の、裏返しかもしれない。
もし俺に、時間を止める力があったとしたら・・・。