飃の啼く…最終章(後編)-23
「何を…」
困惑する害に、いや、その内部に居る者に黷はなおも語りかけた。
「さぞ満足であろうな? こいつの身体をかりて 懐かしいあの小娘に会うことが出来たばかりか 曲がりなりにもここまで国津神どもを生きながらえさせた」
冷酷なその目は、いままで普通の子供のような姿になっていた害という澱みが、ゆっくりと力を取り戻してゆくのを見ていた。
“彼女”は、落ち着き払った声で答えた。
「ええ、満足です。黷」
黷は影差す顔に冷笑を浮かべた。意識を失ったまま、屋上に磔にされている三人の人間を見やって、彼は言った。
「しかし それも一時のことに過ぎぬ…吾は今から あの人間どもを殺し 目障りな小娘を殺す そして 小癪で喧しい国津神どもの眼前に その首を投げ落としてやる! 救いなど無い絶望の奈落に あいつらを突き落としてやるのだ」
詰め寄る黷の狂気に満ちた冷たい瞳を見返して、彼女は答えた。
「それでも、あなたが勝つことはないでしょう」
「…何だと?」
満足げに嗤っていた黷の顔が曇った。
「抗う者が消えてなくなることはありません。希望は死なないのですから。愛の無い世界に、命あるものは生きて行くことは出来ない」
「黙れ!!」
黷は声を荒げた。星の光が弱まり、風は再び死に絶えたが、それもすぐにおさまった。
「10数年ぶりに交わす言葉も、結局は口論になるばかりですね、黷」
黷はその言葉を無視した。怒りを自らの身体の中に仕舞いこみ、悠然と眼下の戦いを見下ろした。
「10数年ぶりに会っても お前は結局その名の通りの存在に過ぎぬのだな…無(なかれ)よ」
無は、その背中に微笑んだ。自分だけが知るささやかな秘密を抱くものの、満足げな微笑で。そして、無は意識を再び小さな澱みの中に沈めた。
それから少しだけ後。
八条さくらが、屋上に続くドアを開けた。
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結界が破れたあと、油良は水鏡から見ていた光景を、飃の村にある池に映した。この戦いの顛末は、全ての子供が、すべての生き残るべき狗族が知っていなければならない。水鏡がさくらを映したとき、子供達は歓声を上げた。
しかし、その光景を尻目に、覚の覚義は村の木陰で物思いにふけっていた。
「見なくていいのか」
照善は、ぶっきらぼうに尋ねた。
「ああ」
覚義も、同じくらいぶっきらぼうに答えた。