飃の啼く…最終章(前編)-9
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小さな頃から、青嵐は予想のつかないことをする男だった。
始めて支えなしに立って歩けるようになってから今まで、何人の狗族の舌を巻いてやったろうか。思い出すだけで笑えてくるもの、自分で自分を褒めてやりたいもの、数え切れないほどある。もし“予想外選手権”があったら、多分余裕で金メダルだ。最近、その技にも磨きがかかってきたと自分で思う。
とはいえ、人の裏をかくというのは実は孤独な作業であり、危険すぎる賭けでもある。龍の巣に住む好奇心旺盛な少女の元に送り込んだ神立のことも然り。そしてこの戦いでも、幾つもの賭けを同時にしなくてはならない。しかし、彼らが勝てるかどうかということは、ひとえにその賭けの結果ににかかってくる。たとえその賭けで、大切な者達を欺くことになったとしても、だ。
彼は数人の青嵐会の兵士だけを連れて、まだ取り壊されていないビルの屋上を素早く渡った。黷の触手が張り巡らされている地面に近い地表より、ビルの上のほうが気配が伝わりにくい。澱みがビルを取り壊すのは、兵と黷の触手の間にある遮蔽物を少しでも取り除くためだ。青嵐は、崩れかけたビルの中に、狗族らしい人影を見た。
「おい」
うずくまる影に、青嵐は声をかけた。死んではいない。だが、ひどく弱っている。澱みに見つかったら間違いなく餌食にされるだろう。薄汚れた顔を見ると、それは―
「若狭?若狭じゃねえか、お前!」
青嵐の背骨が凍りついた。若狭は、南風についていたはずではなかったのか。
「南風はどうした?」
若狭は疲れ果てたように首を振った。
「わかりません…生きていらっしゃるかどうかも…」
「何が起った、詳しく話せ!」
「若、ここでは危険です」
兵の一人が声をかける。もう一人が弱った若狭を背負い、彼らは素早く、まだしっかりと立っているビルの屋上から、中に入った。
社長室らしいその一室にはいるや、彼らはカーテンを閉め、若狭には水道水ながらも飲むものを与えた。彼はそれを一気に飲み干し、たどたどしく語り始めた。
「あれは、昨日の明け方でした…我々乾軍は、予定のとおりに進んでいました。使命を果たせるように慎重に進んだのです。あなたの行ったとおりの道を通って。
すると、他の軍の仲間達が、道端に倒れているのを見たのです。20、いえ、30は居たかもしれません。我々が生死を確認しようと近寄ると、その屍の中から澱みが出てきたのです…澱みの瘴気が立ちこめる中で、澱みの気配など、察するほうが無理だったのかもしれません。しかし、だれが仲間の亡骸の中に潜んでいるなどと思うでしょう?とにかく、それを合図に、沢山の澱みが崩れた瓦礫の下から這い出して、私達はあっという間に混乱状態に陥り…」
青嵐は黙ってその話を聞いていた。若狭が、消え入るような声で言った。
「申し訳ありません…」
「お前があやまるこっちゃねえだろ…」
しかし、青嵐は立ち上がって、光の気配の無いカーテンの向こうを透かし見るようにじっと視線を注いだ。