飃の啼く…最終章(前編)-16
「ははははは…もう諦めろ、狗族の子供。万策尽きたよ」
厭は勝ち誇ったように笑った。見下ろす先には、なす術もなく無様に転げまわる手負いの狗族がいるだけだ。そして、獲物の背中には下水道の行き止まりがあった。
厭は、追い詰められたカジマヤを見下ろして言った。
「どうだ、子供?死ぬのは怖いか?怖いだろう!どうだ?こんな薄汚い場所で、泥にまみれて死んでゆく気分は?助けも、希望もありはしない!ただ死ぬためだけにわたしの一撃を待つ気分はどうだ!!」
彼の勝利は確実だ。目の前の狗族は、恐怖のあまり歯の根もあっていない。激しく体を震わせて、俯いたまま戦意を喪失していた。
「怖い…」
下水の行き止まりの、隅のほうに身体を押し込むようにして、彼は小さな声で言った。
「怖くて、仕方ねえよ…」
「ははは!ならば一息に殺してやる!」
厭の心は愉楽に踊った。
圧倒的で絶望的な一撃をお見舞いするために、彼は大きく振りかぶり、コンクリートの壁を突き破るほどに強くその角を突き出した。
―しかし
「ひゃーははは引っかかったぁ!」
その角を突き立てた壁にカジマヤの姿はない。肝心の狗族は、身動き取れない厭の、顔のまん前を、足の間を、尻で滑って抜けていった。
「な…何!?」
「何っ?じゃねんだよこのデカブツ!」
カジマヤは風を纏った。厭は、角を引き抜こうともがいたものの、地面がぬめるせいで足が滑って踏ん張れない。
「このガキ…こんなガキに、この私が!!」
「なんとでも言え、馬ぁー鹿!」
風が殺気を帯びる。白刃に宿るような抜き身の鋭さが、風の中に無数に感じられた。
「俺はなぁ、恐怖より何より、お前みたいなのに殺されるのが一番我慢できねえんだよ!!」
地面を蹴ったカジマヤの、身体を中心に、白刃の風は澱みの身体を細切れにして切り裂いた。足から、胴から、最後に残った首まで、ミキサーにかけられたように空中に散らばって、破片は塵になって消えていった。
虚ろな下水道を、澱みの最後の雄たけびの余韻が、反響しながら遠くへ消えていった。
「おっとと…」
カジマヤは地面に足をつけて、回転の余韻に2,3歩ふらついた。
「ふう…!」
そしてしっかりと地面に立って、跡形もなく消え去った澱みとの戦いの後を見つめた。
8月19日、午後20時を回ったところだった。