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飃(つむじ)の啼く……
【ファンタジー 官能小説】

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飃の啼く…第26章-3

「何でも無いよ、若葉」
「イナサ様、好きな人のこと考えてたんでしょ〜」
若葉より一つ年下の、薫が冷やかした。
「頬っぺたが赤…いてっ!」
「そういうの、余計なお世話ってんだぞ、薫!」
ごいん、という音から察するに、相当強く殴ったのだろう。子供たちのなかでは一番年上の青田はそろそろ手加減を学ばなければいけない年頃だ。
「さて、見せてもらおうか。若葉、もっておいで」
古びた長机から一枚の紙をとり、若葉がぱたぱたとイナサの所へいった。かすかに緊張している理由は、手の中の紙だ。ミミズののたくったような記号は符呪の術の初歩、結界の令だ。狗族の基本的な呪術は歌に依るものだが、子供の頃は上手く音を選ぶことが出来ないので記号から入る。今は未熟な呪符でも貴重だった。人間たちを守るための結界は広く、その分結界をはる術者への負担も大きい。符はその助けになるから、子供たちにはこうして手をとって教え、大人たちは出来る限り自分の家で呪符をつくり、持ち寄る。

若葉には筆を操る素質があった。練習を重ねれば、ミミズの文字はやがて、流麗に滑る蛇のように整ってくるだろう。
「いい出来だ。ただ、この払いはもう少し力を抜くと更に良い。歌にしたときの事を想像して筆を操ってごらん」
若葉は顔を輝かせた。
「はい」
「…どうかしたか?」
イナサの顔を覗き込む若葉が、おずおずと微笑んで、声を落とした。
「イナサ様、前よりずっと優しくて、きれいになりました」
「そ、そうだろうか…?」
若葉は幽かにはにかみ、頷いた。イナサは喉にひっかかるものも無いのに咳払いをして、軽く頭を降ると次の生徒を呼んだ。
「では次――」
言いかけて、イナサは立ち上がった。筆がカタンと音を立てて落ちる。聞き間違いではない…あの音…あの音と頭の中で繋がっている、あの男…
「イナサ様?」
「手伝い、ご苦労だった。皆、今日はお帰り」
家を飛び出す彼女の後ろ姿を、子供たちが見入る暇もなかった。その代わり彼らはお互いに見交わして、どうやら薫の見解が正しいのだという結論に至った。





「迷っ、た…」
まず道を見失った。獣道を進んでいるうちに、道はますます道離れしてきて、不安に思っているうちに、日は傾き、先程かろうじて西の空に見えていた木漏れ日も消えた。山に入る前に給油していたのがせめてもの救いだが、オフロードバイクではない彼のバイクで山に入ること自体そもそも愚行だったのだ。
エンジンを切り、万策尽きてタンクの上に上半身を伏せた。
「腹ぁ減ったぁ…」
「何でこんなところに居るのだ!馬鹿者!」

幻聴が聞こえた。そうそう、イナサの喋り方はまさにこんな感じ。今頃何してんのかなあ…。
「だってょぉ…」
溜め息混じりに呟く。
「イナサに…会いたかっ……え?」
目を上げると、イナサの少し困ったようなしかめっ面が彼を見ていた。月明かりも届かない暗い森の中で、何故か彼女の姿はそれ自体が薄明かるい。
「会いたかった…?私にか?」
「他に誰が居るんだよ」
驚いた様に目がひらき、それからさっと臥せられる。
「冗談はよせ、こんな時に」
これは脈が無いと言うことなのだろうか。大和は再び項垂れそうになった頭をもちあげた。
「こんな時だからこそ、冗談で半日山の中を走り回るわけがねぇだろ」
見据えたさきで、彼女は樹の幹にかけた手をきゅうと結んだ。珍しく、次に言う言葉を見失ってしまっているようだ。


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