愛・地獄編-1
(序章)
私はここに告白いたします。
父と娘の間の愛の哀しさを、どうしても告白せずにはいられないのです。ここにおいでの殆どの方々が、おぞましさを感じられることでしょう。が、私にしてみれば恐ろしいことながらも、快楽でした。無上の歓びと申しましても過言ではありますまい。
私は十有余年の間というもの、告白の機会を伺いつつ今日まで口をつぐんできたのでございます、はい。娘の命日である今日のこの日に、是非ともお集まりの皆様方にご判断をいただきたいと思いまして。
私自身と致しましては、このことを決して罪悪だとは思っていないのでございます。が、ここ一週間の間というもの、嫌な夢を毎晩見
続けた為でございます。
その夢というのが、何とも身の毛もよだつものでございまして。おそらくは、その夢を忠実にお話ししたとしても、その十分の一の恐
怖感もあなた方には、わかっていただけないでしょう。
夢━それは地獄の夢なのでございます。あなた方は、閻魔大王の存在を信じていられるでしょうか?いやいや、地獄そのものの存在を信じていらっしゃる方は、少ないことでございましょう。かくいう私と致しましても、信じたくはないのでございます。このような恐
ろしいものがあってなるものかと、思うのでございます。
どうもお待たせいたしました。前置きはこの位に致しまして、その夢についてお話しましょう。と申しましても何しろ夢のことでございます、突飛な事柄もございます。荒唐無稽と思われるかもしれません。又、私の感じた恐怖感を十分にお伝えできないかもしれません。しかしどうぞ、お汲み取りいただきたいのでございます。
(二)
私は、名前を梅村正夫と申しまして、生まれは石川県の田舎でございます。昭和の初めに生まれまして、青春時代を戦争に奪われた一人でございます。今は東京で暮らしておりますが、五十年程前に上京しまして、和菓子の製造で生計を立てております。
当時は住み込みの関係で、朝は午前四時から夜は午後九時頃まで働いておりました。二十年間辛抱したら当時のお金では大金の百円をいただけるという、ご主人様のありがたいお言葉を信じて一生懸命働きました。そして約束の二十年目に、ご主人様の勧めで店を開くことになりました。いわゆる、のれん分けでございます。勿論、ご主人様のご援助のもとでございます。
その一年後には、大東亜戦争の勃発で赤紙が届き、すぐにも入隊の運びとなってしまいました。しかし、何が幸いするのでしょうか。和菓子の製造で体を蝕まれていた私はー兵役検査でわかるという皮肉さでしたー、外地に赴くことなく内地で終戦を迎えたのでございます。しかも幸運にも私の店は戦災を免れまして、細々ながら和菓子づくりを再開したのでございます。そしてその後、妻を娶りました。そうそう、言い忘れておりましたが、ご主人様は東京空襲の為にお亡くなりになっていました。奥様も又、後を追われるように亡くなられたとのことです。
私の妻というのが、そのご主人様の忘れ形見なのでございます。毎日々々、私の店の前で泣いていたのでございます。御年、十九歳でございます。それは心細かったことでございましょう。ご親戚筋が、長野県におみえになるのでございますが、疎開されることなくご両親と共だったそうでございます。
ご主人様のご恩への、万分の一でものお返しというわけでもございませんが、お嬢様のお世話をさせていただきました。そのことがご親戚筋の耳に届きまして、すぐに所帯を持たせていただくことになった次第でございます。勿論、おそれ多いとご辞退したのですが、お嬢様の「いいよ!」の一言で決まりましてございます。非常にご聡明なお方で、女学校にお通いでございました。私といえば、ご承知の通りろくろく小学校にも行っておりません。釣り合いがとれないからと、何度もご辞退はしたのでございますが。