にじゅうしせっき-1
あの日りつはあの神社で俺に抱きついたまま確かに言った。
東京に帰ってと。
「お願い、東京に帰って」
涙で濡れた頬と潤んた赤い瞳で、そう言った。
そう言ってりつからキスをしてきた。
「暁の声を取り上げるなんて私には出来ないよ。たくさんの暁を好きな人が待ってるよ」
りつの赤い小さな唇が俺の口から離れて、抱きつく手に力が篭った。
涙を次から次へと流し、まっすぐ俺を見て口を開いた。
「暁が居たから春風が生まれて私と会えたんだからその暁を消したら駄目だよ。春風もいつか消えちゃう」
その時、何も言えなかった。
ただ愛しくて、愛しくて。
抱きしめた。
そんな風に懇願されたら帰らないと言えなかった。
だからその一週間後には東京で復帰していた。
東京に帰るまでの一週間、りつは一度もメールにも電話にも答えなかった。
雨水も心配して掛けてはくれたが、首を横に振っていた。
もう二度と会えないのかと胸が痛んで眠るとりつが遠くに歩いて行ってしまう夢ばかり見た。
部屋はそのままにしていた。
りつがこの部屋にいつでも来てくれれば良いと思った。雨水は最初ひどく反対し、逃げ場を作るだけだと言った。
雨水に鍵を預けるという事でなんとか見逃して貰い、服も、CDも、すべて。
電気も水道も家賃も銀行から落とすようにして、何もかもそのまま残した。
たったひとつあの金魚のグラスを除いては。
あれだけは持って行きたかった。
りつと一緒に居た日々が幻じゃなかったってことを証明する唯一の思い出に。
帰る日の明け方、りつはそっと玄関のドアの前に瓶を置いていった。
少し大きめの瓶の中にはたくさんの金平糖が入っていて、ピンクの封筒がテープで付いていた。
雨水が迎えに来て初めて気づき、手紙を開けると金平糖を毎日食べて欲しいと、それだけ書いてあった。
その足でりつの家へ向かったが不在だったようで、結局りつには会えなかった。
それでも毎日りつにはメールをし、りつの願い通りに金平糖を食べ続けて半年になる。
金平糖は最初の量より半分程に減り、金魚のグラスと一緒に食器棚に入っている。
仕事を終え、部屋の玄関を開けると真っ暗な廊下がある。
日常に戻っただけなのに、どこか切なかった。
仕事は逃げていたとは思えないほど順調でCDも何枚も出していた。
どんなに忙しくても頭の中にはりつがいつもいた。
雨水とはあれ以来仲が良くなる事も悪くなる事も無く、たまに酒を飲むとりつの話になった。
以前りつの姉と連絡を取らせてくれた人はりつの姉と結婚したらしく、連絡が取れなくなった。
りつと関係する人とは本当に縁が切れた。
あの時、りつがどうしてあんな風に言ったのか今になったら分かる。
でも、やっぱり俺はりつと一緒に居たかった。
ここにりつを呼んだらさやかのようになってしまうだろうか。
寝ても醒めてもりつの事ばかり考えている。
すごく会いたい。本当に、心から。