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はるかぜ
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にげみず-9

「良いだろう、もう戻ってこないなら。最後に俺のわがままくらい聞いてくれても」

春風が雨水を睨んだ。

「ここで最後に何曲か歌ってくれたら帰るよ。お前は声帯をやられててもう声が出ないって診断書でも持って」

雨水の指がギターの弦を弾く。
静寂がその音に掻き消された。
春風の返事を聞かずにギターが鳴り始める。
前奏から入って曲が始まっているはずなのに春風は歌わない。
それでも雨水は演奏をやめず、ただ黙々と弾いていた。

その内春風が観念したようにそっと甘い声で歌い始めた。

雨水は一瞬だけ暁を見たが、口元だけ満足そうに笑うとそれまでよりずっと丁寧に音を鳴らしていた。

生で聞く暁の歌に私は目を開いたまま動けなくなった。こんなに優しくて甘い声で、歌っている。

今歌っている曲がさやかさんのためなのか自分のためなのか分からないけれど、それでも感動していた。

一曲目が終わり、雨水がわざと大き目の拍手をした。

「じゃあ、次ね。……この前出したあのアルバムのさ、最後の曲。あれにしよう。あれ、あのりつって子の曲だろ」

暁の返事を聞かず雨水がまた弾き始める。暁ももう諦めたように前奏が終わると歌い始めた。

それは遠い所にいる愛しい人へひたすらに想いを綴った歌で、会いたいけれど会いに行けない想いが詰まっていた。元気でいるのかを心配し、病気をしていないかを心配し、いつか迎えに行くから待っていてと、歌っていた。

涙が溢れた。
涙腺が馬鹿になってしまったんではないかと思うくらいに涙が零れて、嗚咽が出てしまう。
必死に春風にばれないように両手で口を塞ぐのに、涙だけは零れて零れて、体育座りをしていた膝にぽたぽた落ちた。


それからしばらく暁の歌は私を泣かせた。曲の最後の歌詞は夢でいつも君に会うと君は笑っているけれど君は本当に笑っているだろうか、と、締めくくられていた。

雨水の出すギターの音の余韻が辺りに残る中、私はもう我慢できなくなってた。
だから、雨水の考えなんてどうでもよくなって石の影から飛び出した。

突然の物音に春風が目を見開いてこっちを見た。私を見て目を見開いた。それでも春風の表情なんてどうでも良かった。春風がどう思ってるかなんてどうでも良かった。

ただ走って行って春風に抱きついた。
そこに吸い付くように。

「嫌いになんて……なって、ない。春風が、好きっ……」

春風の胸の中でそう喚く。
春風は雨水に向かって睨んでいたが両腕はしっかり私を抱きしめてくれた。



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