きみおもふ。-21
「そういうことだよ」
自嘲気味に逸が言った。
「桜乃には理学部がない。じゃあ一番近い、理学部がある大学は…って訳だよ」
「な…んで……?どうしてそこまでするの?高校だって折角の進学校やめちゃって、今度は自分にここまで無理かけて……」
「ゆかが好きだからさ」
真っすぐ友夏を見る逸。友夏は人形のごとく固まった。
「はっ、知らなかったろ?そうだよな、ゆかにとって俺は『イトコ』以外の何者でもないんだもんな」
吐き捨てるように逸が言う。友夏は口に両手を当てたまま声を出せずにいた。
「でも俺は違う。イトコなんて知らない。ゆかはずっと俺の好きな人だった。ずっとずっと幼い頃から。今は見てくれなくてもいい、でも傍にいれば、俺が一番傍にいればきっと俺を見てくれる。俺を好きになってくれる、そんなありえない夢ばっか描いて」
逸の瞳にスタンドの光が揺れている。零れた涙さえも星屑のように輝いてみえる。
「なのにゆかは……久しぶりに会った俺に、『日下くん』て…。ゆかが更に遠くなった気がした。本当は『逸くん』てくん付けされるのも距離が置かれたみたいで嫌だったのに、極め付けだったよ、名字ってのは……」
俯く逸。苦しげな声。
「どうすればいいか分からないくらい好きなのに、こんなに苦しいのに、それは俺だけなんだ……俺だけ…っ」
バッと逸が顔を上げ友夏の腕を掴んだ。そのまま部屋の外へと押し出す。
「出てってくれ」
「え、あ、逸く…」
「出てけよっ!」
力一杯押し退けられたので、友夏は部屋の前の廊下に尻から倒れ込んだ。
バタン!という音と共に目前の扉が閉まる。ゆっくり体を起こす友夏。唖然とした顔で廊下に座り込んだまま立ち上がれなかった。
勢い良く閉められたドアの上方でカランカランと何かが揺れている。『いつくん』と書かれたそのプレートは、幼い頃友夏が逸の誕生日にプレゼントしたものだった。
逸は暗闇で窓の傍の壁に背を預けて立っていた。その瞳は何を見るでもなく宙を漂っている。
机の上のスタンドも消したので、部屋の中を照らすのは窓の向こうから漏れる街灯のみだ。
コンコン。
ノックの後扉が開く。
「逸、あんた友夏ちゃんに何言ったの?本人は何でもないって言ってたけど、あの子泣きそうな顔してたわよ」
母親だった。その口調は怒っているというより心配している様子を伺わせる。
その質問には答えず、逸は視線を窓へと向けた。ポツリと紡がれる言葉。
「友夏は…?」
「さっき帰ったわよ」
声の調子を変えぬまま、彼は続けた。
「今ならまだ間に合う。なぁ、友夏を送っていってやってくれないか」
「え?」
「頼むよ、心配だから…」
今まで見せたことのない、淋しそうで優しい息子の横顔に、母親は悟る。
「あんた、まさか友夏ちゃんのこと……」
途中まで告げ、そこで言葉を止めた。言ってしまえば息子を追い詰めてしまう気がしたからだ。
「分かった。友夏ちゃん追い掛けてくるわ」
明るく逸に笑いかけると、母親はさっさと部屋を出ていった。
静けさが戻ってくる。周りを取り巻く闇が更に深くなったように感じた。
ずるずると床へ崩れ落ちる。
「ごめんな……ゆか…」
青年は呟く。
「全部ぶちまけちまった…歯止めが効かなかったんだ……」
一人部屋の隅に座り込む逸を残して、夜はゆっくりと更けていった。