願い-9
月明かりが足元を明るく照らす、そんな月夜の晩のことだった。
寝床に戻った女は酷く憂鬱な表情で息を切らしながら私に話し掛けた。
私は女の格好に酷く驚いた、彼女の服には鮮血が大量に付いていたからだ。怪我をしたのかと焦ったが女の手にはナイフが握られていて銀色のナイフが今は朱色に染められていた。今もまだポタリポタリを鮮血と垂らすそのナイフに私はこの血は女のではないことをようやく理解した。
よく見ると全体は蒼白な顔色をしているものの、半分以上は赤く腫れた殴られた痛々しい跡が女の顔を占めている。首には手の跡。ようは暴行の跡と首を絞められて出来た私には見慣れた跡があった。
アンバランスだと思った。ナイフを握って興奮する様子はまさしく殺人犯のソレなのに暴行の跡が女の存在を繊細なガラス細工のように儚く見せる。
「ねぇ此処って本当にくだらない世界よね、下劣で非情で陰湿で……こんな世界なんて要らないよね」
問うているようで疑問ではない、確認だ。私には今から自分のする事を正当化する為の決意表明のように聞こえた。
女は宿を飛び出して走り出した止まらない、止まれない。
誰か止めてあげてそう叫んでも誰にも届かない。私にはただ窓際から女が大通りに飛び出していくのを見つめることしか出来なかった。
只抱き締めてくれれば良かった、人の温もりが欲しいだけだった。女と私はやはり同じだった。
人の温もりを知らない女には、周りの人間はただの「敵」でしかないのだ。
彼女を抱き締めてあげたい、人の温もりを教えてあげたい、私がこの体になってから感じた「幸せ」というものを教えてあげたい。
私はその時初めて彼女を抱きしめる「体」が欲しいと思った。
街角から飛び出した女、尋常ではない表情に狂気を孕んだ叫び声人々は踊るように逃げ惑い、中には腰を抜かして逃げれない人もいた。
それと同時に「いたぞ!」を数人の男たちの声が上がる。制服から警官だと分かると同時に彼らは銃の標準を女に合わせた。きっと女の今の立場はナイフで人を刺した後、更に通行人を襲う凶悪犯。銃を使用するには充分な状況だ。
『待って!!』
パァン
私の制止の声など彼らに聞こえるはずも無く、女は凶弾に倒れた。
死に際の表情は俯いて倒れた為分かり得なかったけれど、くだらないと言い切ったこの世界から解放された彼女の死に顔は微笑んでいるような、そんな気がした。