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エス
【純愛 恋愛小説】

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エス-6

「なぁ…」

ずずずっとカップの傾きで顔の一部が隠れたエスに加藤は声をかけた。
エスは飲むのを止めて加藤を見る。
いつものサングラスにいつもと似たような格好、けれど同じ服ではなかった。
エスの目に加藤は息を呑んだ。
もちろんサングラスをしているから例の様な事態にはならない。
けれど、やはり、引き込まれる感覚がするのだ。

「なに?」

エスは気づかないフリをして加藤に声をかける。
その声に我に返ったように加藤は瞬きをした。

「…あ、いや。何か話してくれよ」

取材をする者として、この切り出し方は失格だろう。
インタビューをしているはずなのに明確な質問ではないからだ。
けれどエスは心得たと言う風に頷き、コーヒーを机に置いた。

「そーだねー…。最初に気づいたのは物心ついた時だったの」
しばらく考えてからエスは話し始めた。

「家の箪笥の影に隠れて母を見たの。全身を半分だけ出して。その時は母をびっくりさせようと待ち構えていた。母は箪笥がある部屋から見える縁側で野菜をいじっていた。どんな野菜だったかとかそれが何だったかは覚えていないけれど、今思えば空豆を剥いていたのか、インゲンのスジを取っていたのかも」

加藤は何も言わずにじっと聞き入っている。
外ではいつの間にか降り出した雨がサー・・・・・・と音を静かに立てていた。
部屋の空気も小さく開いた窓から入った湿気を帯び始める。
エスは立ち上がり窓の方に近づきながら話を続ける。

「左目で母を見ていた。早くこっち見てくれないかな、って。わっ、て驚かしたら驚いてくれるかなって。黄色いワンピースを着ていた気がする」

開けていた窓に手をかけて力いっぱい閉める。
どうもこのビルは建てつけが悪いらしい。
バン、と、大きな音を立てて窓が閉まると雨の音はほとんど聞こえなくなった。

「それで何度か瞬きをしたら、見えたの。母がね……、ううん。母の、ね……」

エスが振り向いた。

「子供だった頃の姿が。びっくりした。母がいなくなって急に知らない子が現れたから。思わずワーって声をあげて箪笥の影にすっぽり入って両手を覆って泣いた。そうしたら母が慌てて駆けてきて、どうしたの、どうしたのって、聞くの。いやいやをするように頭を振った。でも声が母だって気づいたの。それで目を開けたら、いつもの母がいた」

エスの目が真っ赤になっていた。
加藤が口を開こうとする前に、エスは首を振る。
こういう時、加藤は何も言えなくなる。
これ以上聞いてはいけなくて、これ以上話しては貰えないのだ。
エスは机まで戻ってくると袖口で目を擦った。

「お腹空いちゃったね。どこか食べに行こうか」


エスは部屋の置くからビニール傘を2本持ってくると加藤に渡す。

「相合傘は嫌でしょう?」

エスの言葉に加藤が笑うと二人はそれを合図にビルの廊下に出た。
そのまま階段を話しながら下りていく。
外は先ほどより雨足が強くなったのかザアザアと降っている。
加藤が先に傘を差し、自分は出口のドアを押さえたままエスが出るのを待った。
自分よりもエスの方に傘を向けエスが傘を開ききったのを確認して、自分の上に傘を持ってきた。


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