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エス
【純愛 恋愛小説】

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エス-41

「なぜ、そんな事を聞くんだ? 」

低い声で加藤が逆に聞き返す。

「何も情報を流すわけじゃないんです。……ただ、こちらの部分は今回の事件で出血したと思われるんですが。もう一方は……徐々に出血したのでは無いかと、思われていまして。……殴られた部分とは随分離れているんです」

医師が淡々と説明する。
加藤は耳を疑った。

「徐々に? 」

医師が頷く。甘い香水の匂いがした。

「はい。何度も言いますが、普通は考えられないんです。この状態で生きている事が。手術をしましたが、場所がよくなく、これでもだいぶ減らした方なんです、殴られた方は」

医師が何を言いたいのか加藤にはまだ分かっていなかった。
だから、胸がもやもやした。
苛立ち膝の上の手を握り締めた。

「……この先意識が戻る確率をお話するより前に知っておいて頂きたい。野宮さんは」

医師が一度口を閉じ、目を閉じて深く呼吸をした。
加藤の心臓は早鐘を打つ。

「野宮さんは、いつ亡くなっても可笑しくない状態だと、我々は判断します。意識が戻られても、すぐに亡くなるかもしれない。意識が戻らなくても、それは同じです。……加藤さん、我々の病院では延命治療について同意を求めています。あなたの判断で、署名をいただけますか」

カルテの下からバインダーに挟まれた書類を出して医師が加藤の前に置く。

加藤は目を閉じて、額に両手を当て、俯いた。


病室に戻った加藤の顔は青白かった。
律子は思わず声をかけたが話の内容を聞く事はしなかった。
だが、加藤は椅子に座ると、エスの手を握って聞いてきた事を話し始めた。

律子の息を飲む音が途中何度も聞こえた。

話し終わると二人の間に沈黙が流れる。
時計の秒針の音をたっぷり聞いてから律子が先に口を開いた。

「それで……何と書いたんですか? 」

加藤を覗き込む顔は泣きそうに歪んでいた。
律子の顔を見ず、エスの手を握る手に力を込めて加藤が答える。

「延命を望まないと書いた。……エスはもう十分苦しんでるだろう」

答えながら律子に笑いかける加藤もまた泣きそうな顔をしていて、二人は小さく頷いた。

加藤の言葉は本心だった。
律子も自分だったらそう答えると思った。

エスは何も知らず昏々と眠り続ける。
文字通り、何も、知らずに。


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