エス-35
「エス、寝るな、しっかりしろ。今救急車呼んでやるから」
エスの服のポケットを探り、エスの携帯を出す。急いでボタンを押し、遠藤に投げた。
「それくらい出来るだろう、殺人者になりたいのか」
睨む加藤に遠藤は電話をびくつきながら受け取り、住所や名前を告げながらも、合間に自分が悪いのではないと叫んでいた。
「エス、大丈夫か」
加藤はエスを覗き込む。エスの顔は急激に青白くなる。
「かと……さ……ん。ごめ……なさ……」
加藤はエスの手を力をこめて握った。頭を押さえてる手はしっとりと湿り気を帯び、辺りに鉄臭い匂いが漂う。
加藤の目からは知らずの内に涙が落ちて、エスの頬を濡らした。
「何謝ってるんだ。何も悪い事してないだろう」
「ちが……あたし…死ぬ…かも」
エスが弱々しく目を閉じる。加藤は握った手を揺らした。エスがまた薄らと目を開ける。
「馬鹿、何言ってんだ。自分の未来も見えるんだろう? 大丈夫なんだろう? 」
エスは答えず、ゆっくりと瞬きを繰り返した。
「何とか言えよ、言えって。お前の我侭も何でも良くなったら聞いてやるから」
エスがすこし笑ったような気がした。
口を薄らとあけ聞き取れないほど小声で囁く。
「しら…ないの……」
加藤の顔が強張る。エスが手を握り返してきた。
「この…さ…きの…みら……い…見…てない」
エスの目に涙が浮かんで落ちる。嗚咽をするように体揺れ、次から次へと頬を流れた。
「こわ……いよ…。か…とさ…ん。みえなっ…い」
エスはそう最後に叫ぶように呟いて意識を失った。
加藤はエスを抱きしめて、何度も名前を呼んだ。
遠藤と秘書はいつの間にか姿を消し、その数分後、救急隊員によってエスと加藤は病院へ搬送された。
あれから1週間が経った。加藤は自分のアパートにずっと居た。空腹も感じず、何もしないで湿った布団に横たわっていた。一瞬でも寝ればあの時の夢を見た。その度に自分の叫び声で目が覚める。
病院に送られた後、エスはすぐさま手術室に入っていった。後から警察が来て事情聴取を受けた気がする。
呆然としたまま受け答えをして、気がついたら警察官はマスコミに変わっていた。次々と質問が浴びせられ、顔を上げればフラッシュが舞っていた。病院の警備員が追い出してくれた後、どこをどう帰ったのか、気がつけば家にいた。
加藤はよく覚えていなかった。あの時の事以外思い出せなかった。
そして知りたくなかった。エスがどうなったかも、遠藤がどうしているかも。
心をどこかに置いてきたようだった。