エス-17
「エス!!」
加藤は袋と鞄を床に落として走りよった。
背から肩を掴んで仰向けにする。
ぐったりと力なく仰向けになった顔にはサングラスが無く、腫れ上がって紫色になった頬があった。
胸に耳をつける。
心音を確かめて加藤はほっと息を吐いた。
それにしても顔がひどい。
肩を揺さぶって声をかけた。
「エス、エスっ」
体を打っていたのか、エスは眉をしかめながら目をうっすらと開いた。
「あ、れ。加藤さん?…あ、そうか。もう遠藤先生は居ないんだ」
「大丈夫か?」
エスは体を起こそうと動いた。
加藤はそれを助けてやる。
「うん。平気。…ごめんね。びっくりしたでしょ。言っておけばよかった」
起き上がり、手を頬にあてた。
痛そうな表情を浮かべながらエスは言った。
「…言っておけばってお前分かって…いや、うん。そうなんだが。分かってて、それで」
「うん。そう。分かってたけど、こうなったの。やったのは遠藤先生だよ」
「避ける、とか、なかったのかよ。大体何が原因で」
加藤はさっき落とした袋から缶ジュースを持ってきてエスに頬に当てた。
冷たさか痛さか、エスは身を竦めたが、次第に気持ちよさそうに目を閉じた。
「だって、どうしようもないもん。この後先生はあたしを叩きます。なんて、言えないよ。それこそ相手が逆上しちゃう。殺されるかも、しれない。それなら叩かれる方が未来の通りに進むから。加藤さんが来るって分かってたから」
「…俺の気が変わってたらどうしてたんだよ」
「…そうしたら最初から加藤さんが来る未来なんて見えてないよ」
エスは目を開けた。
殴られた左の頬に潰されて左目は右より細くなっていた。
「…それにしてもひどく殴られたな。何言ったんだ?」
「今度の選挙で不正してて、それ、止めた方が良いって。そしたら、誰から聞いたんだって言われて。見えたんですって、答えたんだけど。誰かが裏切ったって…、頭に血が昇ってたらしくて、あたしがそういうの見えるって事も瞬間的に忘れたみたいで。きっと、遠藤先生は昔にそういう事があったから、それでだと思う」
「…なぁ、その口ぶりじゃ過去も見えるみたいだな。…そうなのか?」
加藤はジュースをもう一本持ってきてぬるくなったものと変えた。
「…言ってなかった?右の目は未来が。左の目は過去が見えるの。…あの時も左だったから母の子供時代が見えたんだ。きっと」
ため息をつくようにエスは言った。
加藤は何も聞けなくなって、ただ、エスの頭を撫でた。
エスの目から涙が出た。