特進クラスの期末考査 『淫らな実験をレポートせよ』act.8-5
どのくらい時間が経ったのだろうか。
紺縁の眼鏡を外して伸びをする。生徒会室の東窓に切り取られた景色が雨模様に変わっていた。
英語の課題も済み、期末に向けての復習も終わって溜め息を吐く。鼻の付け根が痛くなった。眼鏡の跡が赤く残っているだろう。ぐにぐにとマッサージをしながら鞄に課題を戻し、ふとクリアファイルから覗くレポート用紙に目が止まる。
愛美は深い眉間の皺をより深くしてレポート用紙を取り出した。
期限は刻々と近付いて来ている。
思い返せばあの日のキスから既に三日。愛美はずっと課題に頭を悩ませていた。
(…最悪…)
唇を噛む。この前のキスが忌々しくて。少しでも気を許してしまった自分が浅はかで仕方が無い。愛美とて経験したいとは思っていた。だが不意打ちで、しかも思いの全く無いキスに腹が立って仕方ないのだ。
(なんで大河内に。よりによってあんな最低教師に)
スラリとした体型に、白衣が良く似合う。涼やかな目元には銀色に光る細身の眼鏡。ちょっと神経質そうだけど、本人は至ってぐうたらで。そんな大河内の一つ一つが愛美の心を逆なでする。
思い出すときりが無い。苦々しいファーストキスを奪った相手は、愛美が入学してから一番気になる男性教諭だったのだから。
(絶対、屈しないんだから)
自分を奮い立たせ、愛美はルーズリーフを取り出した。表紙部分に名前を書いて一枚めくる。
『課題:ロストヴァージンせよ』
この1行が、愛美に深い深い溜め息を漏らさせる要因だった。
シャープペンシルで机を叩く。甲高い音が部屋に響き、落ち着かない様子は誰が見ても明らかだ。
だがその時、音を遮るように入口が不躾に開く。
「子どもは帰る時間だ」
苛立つ声に驚く。不躾な介入はこの男以外考えられない。多分、窓から漏れる部屋の明かりに気付いたのだろう。大河内は面倒臭そうに手に握った鍵を鳴らした。
「さっさと出てけ。当番が俺なんだ。迷惑かけんな」
白衣を脱ぎ、肘まで捲くったワイシャツにスラックス姿。ネクタイは辛うじて結ばれている程度。いつも以上にだらしの無い姿がよく似合っていた。
「今帰ります。ご心配なく」
ぷいっと顔を背け、机の上を片付ける。シャープペンシル、消しゴム、定規、カラーペン、修正液。机の上に広がった文具を終う間に、大きな手がレポート用紙を取り上げていた。
「んなっ!!!」
「へぇ。藤塚、経験したのか?」
いやらしい笑みを浮かべて見下ろすその姿に、愛美の頬がカッと紅くなる。
「どうだっていいでしょ。返してよ、ウザイ」
「その様子じゃ、まだ何もしらねぇんだ」
「離して、返しなさいよ!」
頭上でレポート用紙を握る手を掴む。だが、これを好機とばかりに愛美の手が頭上で大河内に捕まってしまう。
「俺が書かせてやろうか」
「は?冗談はやめてよ」
「この前の続き。今日はもう邪魔は入らねぇし」
耳元でくすぐるように言われ、思いの無い言葉に愛美は不機嫌を加速させていく。
「やめてって」
「逃げんなよ」
唇がふれる間際、長机に背中がぶつかった。ひんやりした机上が背筋を更に冷やす。
じりじりと近付く大河内の顔。両手は頭の脇で左右に押さえ付けられていて顔を背けるしか出来ない。
だけどそれも一瞬の事。
両者の体の真ん中で唇は互い違いに組み合わさっていた。
「んううっっ」
身をよじって逃げようとするが、大河内の体の下ではどうにもならない。
膝が震える。どうしようもない恐怖に冷や汗が流れる。覆いかぶさる体が自分をすっぽり包んでいて、どんなに抗おうと外には逃げ出せ無い。
怖い。抵抗するより恐怖に萎縮してしまう。